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2017年12月号(606号) 3つの時空間が交錯するドラマ
2017-12-01
2017年12月号(606号)
 

3つの時空間が交錯するドラマ
~映画「ノクターナル・アニマルズ」~
 
理事長 吉野 恭治

 トム・フォードという男性をご存じだろうか。自分の名前と同じ服飾ブランドを立ちあげて、瞬く間に世界中に名を売った。007のジェームズ・ポンドのスーツも彼のデザインである。2005年に起業した。メンズウェア、ウィメンズウェア、アクセサリー、コスメティックなど多岐にわたっている。トム・フォードは1962年テキサスの生まれである。ところが多才な彼は2009年映画監督としてもデビューした。その第一作は「シングルマン」という。これがさまざまの映画祭で絶賛され、ノミネートされ、受賞した。彼の「映画」という新しい才能の分野がわかったということである。
 監督第2作は「ノクターナル・アニマルズ」という。東京で大学2年の孫に出会った折、「ノクターナル・アニマルズってどんな意味?」と聞いたら、即座に「夜行性動物だろう」と答えた。英語圏への留学を目指す彼にはこれくらいの英語力は当然なのか、私なりの満足もあった。私はこの映画を観ておきたいと思い、ネットで調べた。ところがあの広い東京で、この映画はただ1館だけしか上映されていない。日比谷まで出かけてこの映画を観た。ある意味、堪能したといってもいいかもしれない。
 この映画は3本の映画を同時に見ているような、不思議な時間軸に置かれる。不思議だが見終わった後「もう一度観なければ・・・」という感情に襲われる。
 スーザンはロスのアートギャラリーのオーナーである。夫ハットンと経済的には何の不足もない生活を送っているが、心は満たされない生活を送っている。レセプションの成功に酔いながら、スーザンは週末なのに仕事でNYに行くという夫を、半ばあきらめの感情をもって見つめていた。スーザンは離婚の過去をもっている。20年前のことだ。当時作家を目指していた前夫エドワードの才能を、スーザンはすでに見放していた。離婚して新しい夫ハットンの胸に飛び込んだ。何という充たされた生活だろうとその頃スーザンは幸せの絶頂にいた。20年の間にすべてが変わろうとしていた。
 そんなスーザンのもとに元夫エドワードから書籍の小包が届く。何年も音信のなかった夫エドワードの書いた新作小説だった。「君との別れが着想になって小説を書いた。感想が聞きたい」と手紙が添えられていた。いくらか躊躇する想いを抱きながらスーザンはページをめくる。タイトルは「ノクターナル・アニマルズ 夜の獣たち」
 映画は20年前の結婚当初のスーザンの世界と、今の心に隙間をもつスーザンの日々との2つの時間軸で進行するが、ここからエドワードの書いた新作の内容も実写化されて展開される。3つの時間軸に置かれた観客は、次第に小説の中の世界が、現在のエドワードの世界でもあるかのような錯覚をもつ。スーザンも同じ状態になる。監督はその狙いをひそかに持っている。エドワードはジェイク・ギレンホールという演技力の確かな俳優が演じているが、映画の中の映画、つまりエドワードの小説の世界での主人公トニー・ヘイスティングスもギレンホールが演じている。はじめ2役とは気づかず、似ているなという意識はあったものの、2役と気づいてから一段と混迷の中に置かれる。映画の中の映画はこんな話だ。トニーは妻のローラと娘のインディアを連れてハイウエイを走っていた。そこで2台の車から執拗な嫌がらせを受けトニーの車は大破する。3人組の男レイ、ターク、ルーはトニーの妻と娘を自分たちの車に押し込んで走り去る。観客の混乱の中でただ小説の世界の映像だとはっきり認識させるものがある。小説の舞台はエドワードとスーザンの出身地テキサスであることだ。映像が黄色っぽい土色に変わり、LAとは異世界になる。
 ここまで読んだスーザンは心の平静を取り戻すかのようにハットンに電話をかける。夫は女性同伴である。裏切りの予感は確信に変わる。スーザンは孤独な夜の中に置かれる。小説の実写が進行するにつれて、スーザンの元夫に抱く波のような感情の変化が鮮やかである。
 トニーは歩き続けて、1軒の民家で助けを求める。捜査の担当となった警部補ボビーはトニーと共に再び現場に立ち戻り、そこで妻と娘の遺体を発見する。
 スーザンは思い出していた。コロンビア大学でエドワードと出会い、二人の交際が始まる。財力のない作家志望のエドワードとの結婚。20年前の日々だ。スーザンはここまで読んでエドワードにメールを送る。「圧倒的で素晴らしいわ。火曜日の夜会いたい」
 小説の中も進行していく。ボビーとトニーは協力し合い犯人逮捕に歩き回る。そのうち3人組の男性の一人タークが強盗事件を起こし死んでしまう。一緒にいたルーは逮捕されるが、トニーの妻や娘のことについては知らないと弁明する。それはある部分は真実に思え、ボビーは逃げ延びている3番目の男レイが首謀者と信じ、行方を捜索する。レイは逮捕されるが証拠不十分で釈放される。トニーとボビーは車にレイを押し込めて、無理やり現場に連れてゆく。妻と娘の最後の状況を叫ぶレイと怒りに震えるトニーとは撃ち合いになり、トニーは息絶える。小説はクライマックスを迎える。
 スーザンは20年近い昔のことを思い浮かべていた。どうしても作家としてのエドワードの才能を信じられなかったスーザンは、小説のアドバイスをすることで口論となる。「僕の才能を疑ってる?」「そんな人生でいいの?ずっとこういう暮らし?」現実的で将来が見通せる人生を送りたいというスーザン。「だれかを愛したら努力すべきだ。失えば二度と戻らない」とエドワード。しかしスーザンは新しい恋人ハットンのもとへ去る。新作の小説を読み終えたスーザンは、のめり込んだ。エドワードとの再会に心のときめきさえあった。
 そして火曜日の夜。スーザンは再会の期待に動悸すら覚えながら、レストランの席でエドワードを待つ。しかし閉店までエドワードは現れない。この映画を観た人の感想のいくつかに「ラストをどう受け止めるかわからない」というものが多かった。3つの時間軸の解決も方向も示されないで映画は終わる。その結論の取り方は観客に委ねられている。不思議な映画だ。面白い。私は改めて自分の作家としての才能を、スーザンに知らしめるエドワードの復讐と解釈して自己納得をしている。機会あればこの映画のラストに挑戦されればいい。
 
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