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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第689号 (2024年11月号) 旅の形 吉野 正泰

(世界遺産シリーズ) 雨の京都 紅葉の糺の森 日本
君たち 僕たち① 



米子校舎 中学1年
長谷 健汰 さん




 「どうやったら打てるようになりますか。」私は授業後の彼の質問に驚くと同時に、何よりその学ぶ姿勢に感心しました。5歳から野球を始め、1年生ですでに試合でも活躍する長谷君。チームみんなで協力して一勝できた時が一番嬉しい瞬間と話し、甲子園を目標に日々頑張っています。
 野球が上手くなるために重要なことは、まず練習でたくさんチャレンジをすること。そしてたくさんミスもして、その都度改善をしていくことだと教えてくれました。しかしなかなか結果を出せずスランプになることもあるようです。その時は一人で考え込まず、友達に相談したり、プロ選手の動画を観て研究しているとのこと。うまくいかないときは新しい方法を試してみて、自分に合うものを探すと話してくれました。彼のあの学ぶ姿勢はここからきているのだと納得しました。
 将来の夢は消防士になることだそうです。どんな状況でも人を助ける姿がかっこいいと笑顔で話してくれました。野球での様々な経験が、必ず将来の力になると感じました。
 (担当 松重)
 

君たち 僕たち② 






米子校舎 高校2
山﨑 大麓さん


 宿題として与えた図形の難問を解くために、理系数学の最強達を引き連れ「紙じゃスペースがたりないからホワイトボードを貸してください」と頼みに来た大麓君。天才数学者フェルマーのようなことをいうなぁと嬉しくなりました。厄介な問いでしたが、知恵を出し合い正解にたどり着き「勝ちました」と誇らしげなメールをくれました。その仲間達ともに、科学の甲子園の校内予選を突破。流石です。
 テニスの腕前もかなりのもの。昨年度は西日本公立大会に団体メンバーとして出場し、準優勝の実績。そして現在は部長。「部活があるからメリハリがつく」と語りながらも、学校帰りに自習室にこもるライバルたちをみて、羨ましくなることもあるようです。
 文化祭では、歌って踊ってさらにはギターと大活躍。また、「将来の夢はアングラー」と小学生の卒業式で語るほどの釣り好き。実に多彩です。これまでは田舎暮らしを堪能してきましたが、大学は都会の医学科に進学したいとのこと。得意の数学で大きなアドバンテージを取るでしょう。
(担当 小西)

卒業生はいま 









フリーアナウンサー
 剣持 幸恵 さん
 
 剣持さん、実は8年前に別の記者の取材でこのコーナーに登場しています。当時NHK鳥取放送局で主に裏方として働いていた彼女の夢が、東京でアナウンサーとして働くこと。見事に夢を叶えている剣持さんと、東京でグラスを傾けながらお話しをすることができました。
 剣持さんはいわゆる局アナではなく、トーク力を武器にマルチに活躍するフリーアナウンサー。典型的な1週間は「火曜は文化放送(東京のメジャーなラジオ局)の報道記者、水曜・木曜はテレビの競馬中継キャスター、金曜は横浜でラジオパーソナリティー、土曜は文化放送でスタジオアナウンサー、日曜は報道アナウンサーとして泊まりの勤務、月曜は泊まり明けの休日です!これにケーブルテレビ出演やイベントのMCなどイレギュラーなお仕事が入ります。来週は北海道に出張です!」とのこと。ハードな毎日なのでしょうが充実感がうかがえます。
 中学高校時代の剣持さんは、前向きで明るくて少しボケていて…天真爛漫を絵に描いたような生徒でした。あの女の子が今や立派なアナウンサー。よく通る声、安定した発音、抜群の滑舌、それでいて人間味を感じさせる剣持さんのアナウンスは努力の賜物なのでしょう。初めて聴いたときは、なんだかこそばゆいような感じがしましたが、今は安心して聴いています。
 「夢をあきらめないでください。そのために精一杯努力してください!人生は一度しかないのです!」生徒諸君!努力で夢を叶えた方のメッセージには説得力がありますね。
 (担当 門脇)
 

学園ニュース








この秋が正念場ですよ。がんばれ境港校舎の仲間たち。

(境港校舎)  


 九月から十一月にかけては、スポーツの秋、文化の秋と言われるだけあって、行事が山のようにあります。境港校舎の中には、学校の部活動だけでなく、水泳やピアノなど他の習い事も通いつつ、勉強も頑張っている生徒もいます。また、生徒会長として学校全体を引っ張っている人もいます。新人戦や文化祭の準備、駅伝、中間テストと休むことなく活動をしているみんなに、いつも感心しています。
 三年生は、今月の二十日に若葉で統一模試がありました。学校行事に加え、若葉でのこのイベントは、生徒にとって、「泣きっ面に蜂」といった形でしょうか(笑)。ただ、この多忙な期間をプラスに捉える人こそ、受験戦争に勝ち残っていけると思います。ここが正念場!頑張っていこうね!
 (担当 古徳)


職員随想 








旅の形
 吉野 正泰


 「インドはツアーで行ったほうがいい」旅慣れていた亡き父からの以前の忠告に従い、三泊五日のツアーを申し込み、八月下旬のある日、羽田空港を発った。
 その日の夕方デリー着でホテルへ直行。翌早朝からクトゥブ・ミナール、フマユーン廟、レッド・フォート、アグラーセン・キ・バオリ。昼食後に車で4時間かけて次の都市ジャイプルへ移動。夕刻にホテルに着き、食事の後就寝。翌朝出発し、アンベール城、風の宮殿、ジャンタル・マンタル、ファテープル・シークリーと周る。
 途中の移動はすべて車なのだが、インドの車はまるで液体だ。路上に溢れる車は空いている隙間を津波のように埋めていく。車間距離も不要のようだ。よく事故が起こらないものだと思って感心しながら右手を見ると追突した2台の車が停車している。左手では若い女性のスクーターが前の車のバンパー下へ前輪をめり込ませて動けなくなっている。そしてそれらの光景はまたぞろ車の流れに飲み込まれていく。
 午前中に観光し、雨の多い午後に車で移動。そのような行程を二日続け、アグラで三日目の朝を迎える。そしていよいよ、タージ・マハルに向かう。
 高校時代に世界史の教科書で見てから、いつか行きたいと思っていた。あの美しさをこの目で見てみたいと思った。到着後、トンネルのような暗い通路を歩くと、前方の視界が段々と開け、あの球状の頭と尖ったツノが見えてくる。薄暗い周囲の黒色と視線の先のタージ・マハルの白色とのコントラストは息を呑むほどのものだ。しかし、心の弾みはこの一瞬だけだった。
 食傷とはこういうことを言うのだと痛感した。もはやどの観光名所も、世界遺産という同種の食べ物になり、次から次へと供されるご馳走に飽きてしまったのだ。
 何よりも、インドの空気で呼吸をしたという感覚を持ち帰れていない。理由は明らかだ。インドの人々の生活圏に入らなかったからだ。香辛料が強烈に香る、慌ただしい街の匂いと音を体験しなかった。身体でインドを感じていない。世界遺産を周遊したという事実は残ったが、旅をしたという感覚は希薄だ。空港で催眠術をかけられて別の場所へ。すると、目の前の巨大なベルトコンベアーに乗って世界遺産が次々と流れてくる。それを見終えて目を覚ますと空港に戻っていた、というのが真相なのか。
 とはいえ、三都市をローカルバスで長時間かけて移動し、街を徒歩で気ままに散策しながら、地元民に人気のレストランに入ってみるような旅は、今の年齢では時間的にも体力的にも無理があるだろう。旅のそれぞれの形にはそれぞれの適齢期がある。還暦が近く仕事を持つ人間には、ひたすら路線バスを利用したり、市場の屋台で食事をしたり、今日の予定は今日決めるなどという旅はできない。これは若くて時間も体力もあるからこそできる旅の形だ。一方、リゾートでゆったりと過ごす、何もしないのが贅沢、というような旅行はこの年になっても問題ない。周遊もヨーロッパなら、今でも行けそうだ。大学時代に旧ソ連からヨーロッパに入り、ドイツ、フランス、スペイン、ポルトガルを1か月ほど旅したが、あの頃にインドに行けばよかったのだ。
 父の忠告は「年をとってから行くなら」という前置きが省略されていたのかもしれない。もしかしたら「だから早めに行っとくべきだった」という父自身の後悔の響きが行間にあったのかもしれない。

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