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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第683号 (2024年5月号) 年相応?  新庄 純

(世界遺産シリーズ) ジョードブルの旧市街地にある青い家々・インド
君たち 僕たち① 


米子校舎 小学6
  山根 歩実 さん



 歩実さんは現在、米子市立車尾小の六年生。小学二年のときに大山西小から転校してきました。そのときは不安もあったけれど、大山西小のみんなが寄せ書きをくれて、それが力になったそうです。
 若葉への通学は小学五年の二月から。まだ通い始めて数か月ですが、前の学校や今の学校のお友達もいて、楽しく通ってくれているようです。
 授業の印象を尋ねたところ、「おもしろくて分かりやすい」という答えが返ってきました。また、若葉に通い始めてから算数が好きになったとも話してくれました。担当の先生にとってこれ以上うれしい言葉はありませんね。
 趣味はピアノで、今は発表会に向けて猛練習中です。この文章がみなさんのお家に届くころには、もう発表会は終わっているはず。さて、演奏はうまくいったかな?
 「おもしろいな、やってみたいな、と思ったことにはどんどんチャレンジしていきたい」という歩実さん。先日作ったマフィンは、ご家族にも好評だったそうです。可能性は無限大ですね。
(担当 鈴木)

君たち 僕たち② 


米子校舎 高校3
 板持 尚希さん


 板持君との出会いは彼が小5のときで、私が算数を担当。知的好奇心が旺盛で、難しい計算や文章問題が好き。教え始めてすぐに、数学的な才能の大きさに驚かされました。「算数はもともと得意だったけど、若葉に通うようになって好きになった」と、話してくれたことを覚えています。
 中学生のころは直接教える機会に恵まれませんでしたが、こっそりと面白い数学の問題を渡して彼の成長を見守っていました。数年たった今でもその時のプリントの内容は鮮明に覚えてくれているようで、嬉しいですね。高校入試の前に「これから3年間は先生が教えてくれますよね。」と言われ、実際にそれが実現し、こちらも感無量です。
 全国模試で数学は校内1位を連発しています。特に印象に残っているのは「校内偏差値94」という数字。ちょっと信じられないレベルです。 「学校の無意味な講演のときに積分していた。」というから笑わせてくれます。数学の力に引っ張られて、今では全教科校内トップレベル。あと1年、最高峰の数学を楽しもう。
(担当 小西)

卒業生はいま 







島根大学
 
  塚本  夢人 さん


 
 仕事帰りに、時々立ち寄るあるスーパーでの出来事です。がさっという音に振り返ると、山積みされていたお菓子が床に散らばっていました。辺りに店員さんもおらず、しょうがないと片付けを始めたら、一人のお客さんが一緒に拾い始めました。何と気持ちのいい人だろうと思っていたら、その口から意外な言葉が。「河田先生ですよね」今回紹介する大学受験科に在籍していた塚本君との3年ぶりの再会でした。
 彼は現在、島根大学教育学部の4年生です。教育学部とあって彼の将来の夢は中学校の英語教師になることです。鳥取県の教員採用試験は6月上旬に1次試験、8月上旬に2次試験が実施されますが、彼は英検1級に合格しているので1次試験は免除されます。英検1級は合格率が10%程度の狭き門です。鳥取県では英語教員採用において、中学教員採用で1次試験が免除されるには英検準1級を持っていれば十分なのですが、ここで1級をとってしまうのが彼の努力家である証明です。境港出身の彼は、松江に引っ越す人も多い中、交通の便がいいとは言えない松江に自宅通学を続けました。しかも同じバイト何年も続けて家に生活費も入れているという頑張りようです。こういう努力家で、しかも散らばったお菓子を黙々と片付けるような心優しい人に、是非とも鳥取県の教員になって欲しいものです。
 浪人生活を振り返って彼は「浪人生活は普通の高校生活と違った時間であり、自分の人生を考える時間だった。」と述懐しています。
(担当 河田)

学園ニュース








クラーク高校米子キャンパスは小さくて、あたたかな高校です。
(高校リターン科

 4月9日に本校の高校リターン科(クラーク記念国際高等学校連携校米子キャンパス)の入学式がANAクラウンプラザホテル米子で行われました。今年度は7名の生徒を新たに迎えてのスタートです。新入生は、開式前から緊張を隠せない様子でした。翌日は在校生との初顔合わせの日。対面式を行いました。各担任の先生から生徒の紹介をしてもらい、在校生の代表からは歓迎の言葉をもらいました。まだまだ新しいことの連続で戸惑うことが多いと思います。困ったときは遠慮せず、気軽に先生や先輩たちに相談してくださいね。これからたくさんの楽しい行事があります。勉強はもちろん大切なのですが、みんなに仲良くなってもらいたいと思っています。
(担当 兼折)

職員随想 








ここ一年の我が家は・・・年相応?
 新庄 純


 ときどき膝が痛い。昨日まで何ともなかったのに、朝起きたときに突然痛みが走る。年に数度はズボンの上から見てもわかるくらい腫れているときもある。足を引きずっていると「どうしたんですか?」と必ず聞かれる。半月板がないので、大腿骨と脛骨が当たって水が溜まるらしい。いちいち答えるのが面倒くさいときは「古傷が…」と濁したりする。今年五十五歳。これまで色々と無理をしてきたツケが回ってきたといえばその通りだ。
 理由はわかっている。古傷というのはあながち嘘ではない。三十年程前、僕がまだ二十代、社会人サッカーチームに所属していた頃。週末には日野川の河川敷グランドで米子市社会人リーグの試合があり、当時チーム最若手の僕は元気よく走り回っていた。二十五歳のときの秋のある日、試合の後半残り時間も少なくなったときだった。コートの中央辺りでボールを受けた瞬間、斜め後ろからかなり大柄な相手選手のスライディングを受けた。両足の間に入ってきた相手の足と自分の左足が複雑に交差した。絡まったまま倒れて笛が鳴った。「おいっ!」チームメイトが掴みかかるくらいの勢いで反則をした選手をとり囲んだ。今なら一発レッドカードで退場になるレベルの反則だ。当時の緩いルールではカードは出なかった。ぶつぶつ言っている先輩たちを横目に、僕は比較的冷静に、次にどこに蹴ろうかとボールを抱えた。ところが左足に力が入らず立てない。蹴れない。無理して走ってみたが、結局這うようにしてコートを出た。
 これまでも捻挫をすることはときどきあったし、小さいころから「男は多少の痛さぐらい我慢するものだ。よほどのことがない限り病院なんて行くものではない。」という昭和の美徳が蔓延る環境で育ってきたので、いつものように湿布を貼って、しばらく安静にしたらたぶん大丈夫だろうと思っていた。しかしその夜は痛くて寝れなかった。翌朝、膝をみたら膝頭が三倍程の大きさに腫れあがっていた。それを見た母が慌てて病院に行くように言った。
 レントゲンを撮り、診断の結果は左膝前十字靭帯断裂、内側側副靭帯断裂、内側半月板損傷。猶予なく入院。そして手術となった。半月板は全摘出。プロのアスリートでもないので、靭帯の再腱手術はしばらく様子をみることになった。膝関節の専門で高名な主治医の先生には、膝の周りの筋肉を鍛えて専用のサポーターを付けていれば、日常生活にはほとんど支障がでないようになると言われた。「でも新庄くん、これじゃあもうサッカーもスキーも、激しい運動は一生できないよ。」とも言われた。
 それから数年間はガッチガチの医療用サポーターをつけて、控えめに運動していたのだが、何時の頃からだろうか、サポーターを付けるのをやめ、勝手に寛解したかのように運動をするようになった。筋トレはサボっているが、サッカーもスキーもそこそこには楽しんでいる。ポンコツの膝なのに、何故か今でも、同年代の中では相当動けるおっさんだと自賛している。
 世の中には怪我に限らず、病気や不具合と共存している人は少なくない。年を重ねれば尚更だろう。もしかしたら、僕も老後支障がでるかもしれない。動けるうちにしっかり楽しんでおきたい。とりあえず、今シーズンの目標としてマスターズ陸上のM55クラス(55歳〜59歳)に挑戦してみたいので、誰か参加の方法を知っていれば教えてください。

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