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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第682号 (2024年4月号) ここ一年の我が家は・・・ 池渕 忠司

(世界遺産シリーズ) 富士山‐信仰の対象と芸術の源泉・日本
君たち 僕たち① 


米子校舎 中学2
  池田 絢香 さん



 米子校舎中学1年生、池田絢香さんをご紹介します。学んだことの復習をしっかりこなし、テストでも毎回好成績をおさめています。授業後や土曜日の補習にも積極的に参加し、定期テストの対策や英検の勉強にも熱心に励む姿がとても印象的です。特に英検では、分からないところを分からないままにせず、少しの疑問でも質問に来てくれました。そうした熱意が、彼女を英検合格に導いたのだと思います。将来の目標はまだはっきりと決まってはいないようですが、努力家の池田さんならどんな目標でもきっと達成できるはずです。
 また学校では吹奏楽部に所属しており、マーチングでは中国大会で金賞を受賞しました。部活での話や学校の友達の話もいつも楽しそうに聞かせてくれて、充実した学校生活を送っているんだと感じさせてくれます。「中学生になって、友だちがたくさんできた。」と嬉しそうに語ってくれました。
 来年度からの池田さんの活躍も、期待して見守りたいです。    
(担当 荒島)

君たち 僕たち② 


米子校舎 中学3
 湯浅 匠真さん


 小学4年生から若葉に通い、今では「バドミントンのように勉強している」湯浅君。小学6年生から続けているバドも、最初は難しくて全く楽しくなかったようです。それでも諦めずに練習し、少しずつできなかったことができるようになるにつれて楽しくなったと嬉しそうに話してくれました。さらに、できるようになることで向上心が芽生え、今度は自ら目標を設定して、上手くなろうと努力するようになったようです。若葉の授業でも自ら積極的に問題を解き進める姿にも納得です。
 このようなバドでの実体験の影響が大きく、湯浅君の座右の銘は「継続は力なり」。彼はこの言葉を勉強にも応用し、一度学んだことを忘れないように、繰り返し復習することを特に大切にしていると話してくれました。部活やスポーツで学んだことを勉強にも活かして取り組んでいる姿勢にとても感心しました。
 将来は人の役に立つ仕事をしたいと言っていました。コツコツと継続する力の上に、今後の彼の成長と活躍が楽しみです。
(松重)

卒業生はいま 







倉敷芸術科学大学
生命科学部
 
  黒田 颯一朗 さん


 
 平成三十一年四月にクラーク高校に入学、三年間の思い出は、と聞くと、「一年生の時は少しずつでも学校に通えるようになり、楽しいことも沢山あった。」と言うことでした。と言うのも彼は中学校二年の中頃から学校に通えなくなってしまっていたからです。原因は精神的な不安障害で人前に出ると緊張して吐き気を感じてしまうそうで、そのため学校へ行くことも出来なくなってしまったそうです。大人数が苦手で、少人数だったクラーク高校が合っていたようです。二年生になると学校に毎日通学するリズムができ、楽しく生活することができたそうです。ただ、遠くからの自転車通学だったので、かなり辛かったそうです。
 彼は三年間で、自分がやりたい仕事を見つけたようで、その夢をかなえるために、倉敷芸術科学大学生命科学部に進学しました。彼の夢は最前線で人命救助をする消防署勤務の救急救命士になることだそうです。救急救命士の仕事は、心肺機能が停止状態になった重症患者に対する救急処置を救急車などで、医師と連絡を取りながら行う仕事だそうです。平成三年から従来医師でなければ行えなかった処置ができるようになったそうです。夢をかなえるために、国家試験と消防官の採用試験に合格出来るように頑張ってください。
 友達に聞いた彼の性格は、落ち込みやすいところもあるが、きづかいがあり、困っている人を見ると助けてあげることがあるそうです。性格からも彼に合った仕事を見つけたようです。
担当(田口)

学園ニュース








新しい生徒とともに倉吉校舎は開校24年目のスタートです。
(倉吉校舎)

 倉吉校舎では、県立高校一般入試の前に、受験生のみなさんにハンカチを準備させます。これは私の入試前の激励の言葉に感動して、涙を拭くためのものではありません。アロマスプレーをつけるために用意するのです。発表会など緊張を伴う場面でも、集中できる効果がある匂いを嗅ぎ、試験の成功を願うものです。「知ってる!」とか「持ってる!」とか言う生徒もいて、アロマ効果は確かなようです。試験当日まで匂いが飛ばないように、ジップロックも持参していた生徒もたくさんいました。みなさんがこの文章を目にするときには若葉を卒業しています。合否結果はもちろん、この校舎で、授業以外にもたくさんの思い出ができましたね。
 別れと同時に、新しい出会いも。三月は体験授業がありました。緊張した面持ちの新中学一年のみなさん、いち早く0より小さい数について学習しましたね。四月からは、多くの新しい生徒を迎えます。
(担当 濱)

職員随想 








ここ一年の我が家は・・・
 池渕   忠司


 「ジイジ、バアバ」、イオンに響き渡る幼児の声。顔いっぱいの笑顔で、ちっちゃな男の子が一生懸命の小走りで駆け寄ってくる。孫の「芯弦」である。その後ろから、抱っこ紐の中、ニコニコ顔の「仁都」が長女とともにやってくる。休日は、私と妻、長女夫妻と孫二人、どこかに出かけるのがいつものルーティンである。それは、一年前からはじまった。長女は東京で就職し、そして結婚。それからは川越市に住んでいた。義理の息子は歯科医師なのだが、地元川越市を離れて、米子市に開院したいとの思いがあった。そして、ついに開院することとなり、一年前の三月、米子に移り住むことになったのである。同時に歯科医院を手伝うこととなった次男までも、地元に帰ってきたのである。四年前に松江から長男も帰ってきており、にぎやかな日々となった。毎週金曜、土曜日は、長女家族が我が家に宿泊する。「よし、ジイジ、バアバのうちに行こう」、と金曜日、幼稚園から帰ってきた「芯弦」がつぶやくのである。金曜、土曜、日曜とにぎやかな我が家である。お出かけの話に戻るのだが、天気の良い日、「芯弦」は足こぎ三輪車でお出かけ。楽しそうに小さな足で地面をける。速くてついていくのがかなりきついのである。住んでいるコーポから、うちまで約一キロ半を三輪車でやってきたことがある。びっくらぽんである。また、天気が悪い日には屋内へ。イオン、天満屋などの遊具があるところで飛び回っている。ほっとくとずっと遊び続けている。疲れないのだろうかと心配していると、急にしゃがみこみ一言、「疲れちゃった」とつぶやく。最近覚えた言葉である。なんともかわいい仕草である。幼稚園に行くようになって、いろんな言葉をたくさん覚えて帰ってくるようになった。長女が強い口調で叱ると、「ママ、落ち着いて」となだめたりするそうである。去年の十月、家族八人で金沢、福井に出かけた。「兼六園」と、「福井県立恐竜博物館」が目的地であった。私も妻も、庭園やお城が好きで、一度「兼六園」を訪れたかった。十月の半ばだったので、紅葉のさかりには少し早かったけれど十分の美しさであった。翌日、「福井県立恐竜博物館」へと車を走らせた。「福井県立恐竜博物館」は恐竜化石の宝庫として全国的にその名が知られている。一階から三階まで届く高さの「恐竜の塔」と呼ばれるシンボルモニュメントが立っており、広大な無柱空間には、所狭しと恐竜骨格や化石・標本、ジオラマ、復元模型などが展示されていて、大満足であった。また、先月は、神戸に長女家族と出かけた。私と妻は、「神戸北野異人館街」、長女家族は「アンパンマンミュージアム」へ。「神戸北野異人館街」、明治や大正時代に建てられた異人館が立ち並び、ノスタルジックな雰囲気に包まれている。とパンフにあったが、本当にその通りで、有意義な散策であった。「アンパンマンミュージアム」組、アンパンマンが大好きな「芯弦」は大はしゃぎだったそうである。家族みんなでいろんなところに出かけるのは本当に楽しい。ただ、お出かけには体力がいる。一万歩以上のウォーキングを日課としている。また、若葉には「テニスサークル」なるものがある。部員は六名、毎水曜日午前中、汗を流している。その他に、「福米東野球同好会」という壮年野球チームにも属している。四月から九月まで激戦の九試合を繰り広げる。お出かけのため、いろんなスポーツで体力づくりに励む今日この頃である。

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