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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第680号 (2024年2月号) 日本の天文学史 板見 拓史

今月の短歌


お正月こたつにこもりテレビ見る
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米子校舎 中学2年 
    白根 朱鳥



君たち 僕たち① 


米子校舎 中学2年
  森永 崚太 さん



 いつも通学バスを利用している森永くん。ちょうど記者が運転しているときに、今度生徒紹介に使わせてもらってもいいかと尋ねると、笑顔で快諾してくれました。
 現在、弓ヶ浜中のバスケ部に所属する森永くん。バスケを始めたのは、小学二年のミニバスからというから、もう結構なキャリアです。シュートが決まったときの爽快感がたまらないとのこと。好きな選手は、『スラムダンク』だと流川楓、現実だと八村塁だそうです。
 若葉への通学は中一から。お兄さんが卒業したのと入れ違いだったかな。得意科目は英語。記者は英語担当なので、彼がいつも高得点を取っている印象しかありません。あとは理科の生物分野が好き。数学はどちらかというと苦手みたい。
 受験生になる今年の目標は「オール5を取ること」。苦手を克服して、ぜひ目標を達成してほしいですね。ところであの歌、〽不確かな夢叶えるのさ~じゃなくて、不確かな夢から縁の下~って聞こえるのは私だけ?
(担当 鈴木)

君たち 僕たち② 


倉吉校舎 中学3年
 河口 賢輔さん


 周りにいる生徒を和ませる魅力を持っている賢輔君。そんな彼も小学校の頃はヤンチャで、よく廊下に立たされていたとか。確かに中1の頃は落ち着きのない生徒でしたが、優等生へと成長しました。
 彼が若葉にいることから、入学した生徒が数名いて、よく覚えているシーンがあります。それは体験入学したある生徒が授業後、不安な表情で「俺、ついていけるかなあ。」それに対して彼は「俺も最初は自信なかったけど、慣れたら大丈夫だけ。俺が大丈夫だったし。」おチャラけた一面と誠実な一面を持ちあわせている彼。この一言でその体験入学生は入学を決めました。慕われていることと信頼されていることを兼ね備えた生徒はなかなかいません。
 そんな彼の目標は倉吉東高校に合格することです。中1当初は、周囲からおバカキャラで見られていたのですが、いち早く彼の能力の高さに気づき、授業中よく「ケンスケは賢い!」と言った私。自分の目に狂いはなかったのと同時に、この仕事へのやりがいを成長した彼を通して、改めて感じるのです。
(担当 濱)

卒業生はいま 







介護老人保健施設
サンライズ名和 勤務

 杉原 大輝 さん

 
 前日にメールで取材の約束をして、当日2号館の窓口で待ち構えていると、姿を見せた杉原大輝くん。こちらが笑顔で手を振ると、後ろからベビーカーを押した女性も一緒に入って来られました。一瞬「えっ?」と思ってしまいましたが、すぐに分かりました。なんと奥さんと生まれたばかりの赤ちゃんと一緒に来てくれたのです。赤ちゃんの可愛さに、我々クラークの職員も思わず笑みが出てしまいました。奥さんから「子育てを積極的にしてくれます」という言葉を聞きました。彼はしっかりお父さんをやっているようです。
 クラークを卒業して介護老人保健施設で介護職として勤務する大輝くん。クラーク在学中は、クラーク高校のことが大好きすぎて、休みの日が来ることを嫌がっていたのをよく覚えています。そして当時から人当たりが良く、誰からも愛されていたように思います。今の仕事は彼にとってまさに天職なのでしょう。利用者の方からの評判はとても良いそうです。
 この仕事の大変なことは、夜勤での眠気との闘いだそうです。やはりこの仕事はシフト制のため、どうしても夜勤はしなければならず、時差ボケのような感覚になるそうです。しかし彼には大きな目標があります。今年は介護福祉士国家試験を受験予定です。しっかりと勉強をして準備をしておかなければなりません。仕事に育児にと、いろいろと忙しいようですが、とにかく体だけは壊さないように頑張ってもらいたいものです。
(担当 兼折)

学園ニュース








入試シーズン到来!いい結果を祈っています。
(米子校舎)

 写真は1号館の外壁です。角帽をかぶって羽ばたくエンブレムの下の"Never categorize."というフレーズ。あえて日本語にするなら「枠にはめない」です。子どもたちの可能性を決めつけず、行きたい方向へ行けるところまで飛んでいく彼らを応援したいという私たちの基本姿勢を表しています。このエンブレムはデザイナーである門脇先生の奥様にお願いして考案いただいたものです。
 1月8日に高校進学最終模擬試験が実施されました。中学3年生は入試へのラストスパート中。6日まで行われた冬期講習の成果も試したいと真剣に問題に取り組みます。この結果をもとに最終の個人懇談で受験校を決定します。いい結果を祈りながらの撮影でした。 
(担当 吉野)

職員随想 








日本の天文学史
 板見 拓史


 コロナ禍が明け外出する人が増えたことも一因となっているのでしょうか?最近、テレビ離れという言葉を聞く機会が以前より増えたように感じます。私も随分前から、テレビを見ることが少なくなっています。たまに、テレビ番組を見ると新鮮で面白いのですが、だからといって、その番組を次回も見ようとは思いません。おそらく、テレビを見る習慣が完全に無くなっているのでしょう。
 テレビドラマは、ここ20年近く見ていないのですが、NHKの朝ドラと大河ドラマは、毎回どんな人物が取り上げられるのか、非常に気になります。今年の大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部が主人公ですね。来年の大河ドラマ「べらぼう」では、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵を出版した、江戸時代のメディア王「蔦屋重三郎」という人物が主役のようです。大河ドラマというと、有名な人物が多く、ドラマチックなストーリーにしやすい戦国時代や幕末を扱った作品が多く、人気もあります。しかし、今年、来年と、戦争や動乱ではなく、平安時代の小説、江戸時代の浮世絵といった「文化」を扱った作品が続きます。今後も文化を扱った作品が多く作られるかもしれませんね。
 私は理系人間なので文化を扱うならば、日本の天文学の歴史をオムニバス形式で作ると面白そうだなと、勝手に思っています。世界の天文学史は、古代メソポタミアの太陰暦、古代エジプトの太陽暦から始まり、古代のギリシアのエラトステネス、アリストテレス、ルネサンス時代のコペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートン、20世紀に入ってからのアインシュタイン、ハッブルそして現代へと続きます。歴史の長さ、ビッグネームの多さから分かるように、その歩みは人類の歴史とともにあったと言っても過言ではありません。それに対し、日本の天文学の歴史といっても、あまりピンとこない人が多いと思いますので、いくつか人物やエピソードを紹介します。
 日本の天文学の歴史において最初に登場する人物は、日本史においても最初期の人物である卑弥呼です。卑弥呼の死んだ年と皆既日食が起こった年が同じ年と考えられることから、それを日本神話の天照大御神の岩戸隠れと結びつけ、天照大御神と卑弥呼は同一人物だとする研究者もいます。その後の律令制の時代では、天文道(天文学というよりは占星術に近い)が発達し、平安時代には、陰陽師として知られる安倍晴明が活躍しました。安倍晴明は、日本で最初の皆既日食を記録しています。源平合戦では、水島の戦いで日食が起き、日食を知らない田舎者の源氏の兵はパニックになり、日食が起こることを事前に知っていた平氏に負けたという逸話があります。鎌倉時代では、小倉百人一首の撰者である藤原定家が記した日記「明月記」が天文資料として非常に重宝されています。かに星雲を生んだ超新星爆発やオーロラの記録が有名です。当時は巨大磁気嵐が発生し、京都でもオーロラが見えたようですね。江戸時代になると、中国から輸入していた暦に変わり、日本独自の暦を作成するのに天文学者が活躍します。そこには、大きなドラマがあり、数学者の関孝和や日本地図を作製した伊能忠敬も関わってきます。このように、他分野で有名な人が実は、天文学に関わっていたという意外性があり、なかなか面白い題材だとと思うのですが、皆さんはどう思われますか。

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