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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第662号 (2022年8月号) 生徒たちとの出会いに感謝 美柑 恭史

今月の短歌


大会へ跳ねる気持ちはピチカート♪
 気持ちを一つに奏でるメロディー♬


米子校舎 高校2年
    三澤 つぐみ



君たち僕たち① 
米子校舎 中学2年
梅林 春斗さん


 授業中の疑問点は積極的に質問し、授業後の補習にも残って勉強に励んでいる梅実くん。友人たちと仲良く切磋琢磨している様子が印象的です。得意教科は理科や社会などの暗記科目で、高専を志望校に勉強を頑張っています。
 そんな彼ですが、勉強のほかにも熱心に取り組んでいるものがあり、それが卓球です。普段の部活動での練習に加え、土曜の夜にも卓球の練習をしており、その夢中さが伝わります。今は高専に進学して卓球をすることが目標とのことなので、勉強においても卓球においてもこれからの更なる成長に期待したいです。
 また、やっているスポーツは卓球だけでなく、ハンドボールと駅伝もあるというので驚きです。若葉に通いながらの両立は大変そうですが、忙しそうながらも楽しそうに話をしてくれる様子はそれを感じさせません。
 進路の話を聞くと、高校だけでなく就職までの大まかな希望はもう決まっているそうです。目標を達成するためこれからどう成長していくか、今から楽しみです。
(担当 荒島)


君たち 僕たち② 
米子校舎 高校3年
板倉 可奈笑 さん



 高校3年ですが、梅雨が明けても部活を引退していません。十月に開催される「鳥取県高等学校総合文化祭演劇発表会」に出場するためです。一昨年中国大会に出場できたことが大切な記憶だというほど部活動に熱心に取り組んでいます。
 小学生時代『家庭の医学』を読むのが好きで自然と医療系を志望。看護師を目指します。「海外で舞台メイクとかも勉強してみたい」と言いますが、それを職業にする予定は現時点ではないようです。
 自由奔放さが羨ましい『窓ぎわのトットちゃん』を愛読するも自身はそこまでの奔放さを目指してはおらず「人の気持ちを考慮し最大限の吟味をした前提で、思ったことをきちんと言う」のが信条です。
 好きなアーティストは星野源で好きな曲はNothing. 聴いてみました。うん、いい曲です。色調の変化が自然とイメージされる曲。優しい色を感じる曲ですね。
 弟を含め家族全員を尊敬していると。両親の元を離れたくないと言います。光陰矢の如し。一緒の時間を大切に。
(担当 吉野)


卒業生はいま 

河北小学校 講師

  丸山 晶 さん 
 
 今回は中1から中3まで倉吉校舎に通学した丸山晶さんを紹介します。この春から小学校の特別学級を受け持っている彼女。6名の担当をしているのですが、多動性障害や自閉症の生徒の対応は、物を投げたり暴れたりと本当に大変だとのこと。しかしコロナ禍で自宅待機期間に生徒たちからの「先生に会いたい」という素直な言葉が聞けて、とてもやりがいを感じたと笑顔で語ってくれました。仕事で大変だったことも明るく話してくれるところから、充実感と同時に彼女の逞しさを感じました。
 現在はICTなど様々な研修に参加している彼女。いろいろなことにチャレンジしていきたいのだそうです。そんな彼女の夢は、「将来、ずっと現場で、教師でいたい!」天職に就いた人でないと、言えない言葉ですよね。
 最後に、今若葉にいる生徒へアドバイスを求めたところ、「がんばりすぎないこと。」と意外な返答。職場や自らの経験から、自分の目標がしっかりあれば、がんばりすぎなくても必ず目標に辿り着けるとのこと。「生徒は常に我々の前では気を張ってがんばっているのです。だからそれ以上を求めてはいけない。」という言葉は印象に残りました。
 7年ぶりにゆっくり話をして、おとなしかった少女がこのような立派な自己を確立した大人へと成長したことに、驚きと喜びを感じたひと時となりました。そしてたくさんのパワーをもらえたこと、晶さん本当にありがとう。またお会いしましょう!
(担当 濱)


学園ニュース(倉吉校舎)

米子校舎の通学バスの車種が変わります。

 米子校舎の送迎バスは全部で五台。そのうち、マイクロバスと呼ばれる長めの車両は二台。二台とも日産の「シビリアン」という車両です。通学にバス送迎を利用していない生徒でも、若葉に停まっているのを目にしたことはあるはず。
 その二台のうちの一台が、しばらく前からエンジンや自動ドア、その他もろもろの調子が悪く、安全上の観点からこの度「引退」することとなりました。
 代わって登場するのが写真のバス、三菱ふそうの「ローザ」。新車ではないので、ピカピカというわけにはいきませんが、走行距離も比較的短く、まだまだ元気に走ってくれそうな一台です。
 大山・淀江方面から乗る生徒は、早くこのバスを覚えてあげてくださいね。
(担当 鈴木)
職員随想 




生徒達との出会いに感謝
  美柑 恭史



 娘が病気がちだったので、医療機関の整った大きな病院のある近くに住みたいと思い、大山町から米子に移り、今年で約10年が経とうとしているが、それからは大きな病気もせず健康でいてくれてホッとしている。今年高校1年生になり、今はある部活のマネージャーとして土日は朝早くから選手と共に頑張っている。
 私と言えば相変わらず平日は浪人生、高校生、境校舎の中学生たちと有意義に時間を過ごさせてもらっているし、土日は実家に帰り米作りに励んでいる。先日あるクラスの生徒たちに60歳だと言うと、「年齢より若く見えるよ」という言葉が返ってきた。ついついうれしくなってしまったが、歳をとったんだんなあと逆に痛感した。
 若葉に勤めるようになって34年が経とうしている。30年は長いように思えるけど、私にとってはあっという間の30年だったような気がする。でもその中でも忘れられない出来事がいくつかあるが、一つだけは絶対忘れられない生徒との思い出がある。
 通信制のクラーク高校の生徒を教えるようになって数年後の2005年のこと。その生徒は「病弱でみんなに迷惑をかけた分恩返しをしたいので、大学に進学して医療関係の仕事に就きたい」という希望があって、日中はクラーク高校で、夜は私の高校3年生の授業を受けて自分の夢を叶えようと一生懸命勉強していた。その甲斐あって東北のある大学に進学したが、その数か月後、授業があるときは必ず彼女の送り迎えをしておられたお父さまが「東北の桜を見たい」ということで、彼女と一緒にバスで仙台に向かう最中に悲惨な事故が起きてしまった。お父さまはその事故で亡くなられ、彼女は意識不明の重体になり、その状態が数年続き、回復することなくその後亡くなってしまった。自分がその事故のことを地元の新聞で知ったのは約1年後のことで、その事故が起きた当時はこちらの新聞には一切掲載されていなかったのだ。そのことを知った当時の私は、「彼女に大学進学を勧めなければこんな事故には遭わなかっただろうに」と自分を責めることが多かった。しかし、普段とは違う私に気づいたある生徒の、「みんなを笑顔で元気にしてくれる先生が一番似合うよ」の一言で勇気づけられた。
 彼女のことをあるクラスの生徒たちに包み隠さず話したところ、生徒たちが自主的に、東北の病院にいる彼女のもとへ千羽鶴を贈ろうという提案をしてくれ、私も賛同した。生徒の中には折り方を親に教えてもらいながらも協力してくれた生徒もいたし、1人で300羽も折ってくれた生徒もいた。彼らの協力のもとに約1700羽の折り鶴が集まり、彼女のもとへ送り届けることができた。後日、彼女のお母さまとお姉さまからの感謝の手紙を読んでみんなで泣いた記憶が今でも蘇ってくる。今は天国でお父様と有意義に過ごしている彼女の姿が目に浮かぶようだ。
 これまで何人の生徒を教えてきたのだろうか。おそらく3000人は優に超えているだろうが,名前と顔が一致するのは五百人くらいしかいないだろう。でも、これまで若葉で頑張ってこれたのは、これまで出会ってきた数多くの生徒たちのおかげだと思う。34年間の中には嬉しいこと、悲しいこと、辛いことが数々あったと思う。でも、英語を通して彼らと同じ時間を共有できたことは一生私の宝物になるだろう。彼らとの貴重な思い出を抱きながらこれからの余生を過ごしていきたいと思う。


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