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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第681号 (2024年3月号) 塾講師の震災体験  濱 真武美

今月の短歌


手先まで真っ赤になった私の手
 白い息かけあっためるんだ

米子校舎 小学6年 
    中西 千世



君たち 僕たち① 


米子校舎 小学6年
  黒﨑 凜 さん



 6年生の授業は「中学へのかけはし」と題した中学入学準備講座です。数学の「文字式・方程式」への対応のため割合の演習問題に取り組みました。ここを苦手に思う児童は多くいます。パーセントや歩合を利用した文章問題では、ノートに図や数直線を書いて考えることがマストでしょう。
 ただ凛さんはさほど苦手ではないようです。相談して解く時間には、友だちにアドバイスをしてくれるほどです。
 「野球をやっている人は割・分・厘をよく知っているのでは」とみんなに問いかけたとき、凛さんはパッと目を上げました。小学2年の頃、お兄さんに憧れて彼女もまた野球を始めました。小学校のチームでは、守備はライト。長距離を狙うのではなく、繋いでいくスタイルがチームの持ち味なのだとか。思い出深いことは「去年の3月に新チームになって、最初の大会で優勝できたこと」とにっこり。中学校ではソフト部に入部希望ですから、先輩たちは期待して待っていてくださいね。もちろん勉強は若葉にまかせてもらったらオッケー。
(担当 佐布)

君たち 僕たち② 


米子校舎 高校1年
 金田 穂花さん


 「部活もしていない薄い人生を歩んでいるので、あまり語れることはありません。そもそも部活をやる意味が分からない。中止になったら喜ぶ人が多いのに(笑)」という穂花さん。忖度のないこの発言に思わず笑ってしまいました。頭の回転の速さと知識の量。それに伴う話のうまさは人生を彩る重要なファクター。高次元でそれらを持つ穂花さんの毎日は、実は大変充実したものではないでしょうか。
 「高校生になって最初の数学のテストはすごく悪かった。」といいます。ところが才能が開花した後の成長は著しく、2学期の全国模試で数学は東高内で3位。さらに主要3教科合計で校内制覇を達成。努力した分だけ成果が返ってくることを証明しました。
 高1ハイレベルの授業は、才気あふれる数学好きの男の子たちが「ああでもない、こうでもない」と言いながら授業を進めてくれます。それを見て悔しそうであり、うらやましそうでもある穂花さん。彼らが間違えた問を正解したときの優越感に、これからもどんどん浸って欲しいですね。
(担当 小西)

卒業生はいま 







大阪大学 工学部
 
  古賀 光一朗 さん


 
 古賀さんは、昨年大学受験科に通っていました。そこで、同じ米子東高の理系の生徒と競い合うことで、成績を大きく伸ばしました。そして、見事第一志望の阪大の地球総合工学科に合格しました。そんな彼に、地球総合工学科のことやサークル活動について取材しました。
 地球総合工学科は、船舶海洋工学、社会基盤工学、建築工学の3つの分野から成り立っています。1年生終了時に、3つの中の1つに分属されます。古賀さんは、大学受験科のときは、建築に興味を持っていました。しかし、大学の授業を受けるにつれ、AIを使った船舶の自動運行や、洋上風力発電等、海に関わることであれば、非常に幅広い研究を行っている船舶海洋コースに惹かれ、そちらに進むことにしたそうです。大学の授業は、今はやりのクオーター制で行われます。1年で学ぶ一般教養は、データサイエンス等の理系よりの科目が多く、語学以外の文系科目は、受講していないそうです。
 また、彼はロボコンのサークルに入っています。そこで、C言語でプログラミングを行ったり、ロボットの設計をするCADを扱ったりしています。CADは、オートデスク社製で、大企業でも使われている数十万もする高価なものだそうです。2年になると大学でプログラミングの授業があるので、楽しみだとのこと。
 勉強もサークルも順調な古賀さんですが、キャンパス周りの生活がメインなので、第4クオーターのテストが終わったら、息抜きに街中に出てみるのもいいかもしれませんね。
(担当 板見)

学園ニュース








(問題)2024年に発行される新一万円札の人物は誰か?
(境港校舎)

 私立の一般入試が一月に、高専入試は二月に実施されました。県立高校を第一志望にしている生徒にとっては、良い力試しになったと思います。
 私も入試の傾向などを確認するため、毎年問題を解いていますが、「社会」は特にユニークな時事問題が出されます。今年の米子松蔭で出題されたものとしては、「2024年に発行される新一万円札の人物は誰か」という問いでした。もちろん答えは渋沢栄一。漢字指定の問題だったので少し難易度が高かったかもしれませんが、みなさんは解けたでしょうか。
 この二月は、全ての校舎で毎週土曜日に入試対策をしています。あと一週間ほどで本番を迎えますが、最後まで気を抜かず、一緒に頑張っていこうね!
(担当 古徳)

職員随想 








塾講師の震災体験
 濱 真武美


 兵庫県加古川市で、塾講師としてのキャリアをスタートさせた。研修がとにかく多く、模擬授業による授業スキルアップなどは、かなり鍛えられた。今の授業力(教育者としての人格形成、話術、板書技術)はこの時に培われたものである。その加古川市に住んでいた時、阪神・淡路大震災を経験した。12月の中旬から冬期講習、正月特訓(大晦日から正月三が日)など続いて、震災当日まで1日も休みがなかった。たまたま1月17日は1か月振りの休みだったのである。若かったが、疲れもあり、震災前夜は深夜三時くらいに「明日は久々に目覚まし時計をかけないぞ…」と眠りについた。早朝、大きな揺れに一瞬目を覚ます、ガチャンと何かが落ちたか壊れたかという音、布団を頭までかぶり、揺れがおさまったことで、再び眠りに落ちた。次に眠りを妨げられたのは、昼過ぎ、布団のすぐそばにあった家の電話の音、目を閉じたまま寝ぼけた状態で電話をとった。電話の主は塾の上司。「おい、ハマ。大丈夫か?」条件反射に「大丈夫です。」「ハマ、明日の神戸での研修は地震で中止になった、っていうかハマ起きてる?」再び条件反射で「起きてます。」「高速道路が横倒しや、凄いことになってるで、テレビつけてみ。」そこでやっと目を開く。部屋はぐちゃぐちゃ、台所の電球が床に落ちていた。「何があったんすか?」「地震や(笑)。」
 この震災体験を不快に感じた方もおられるかもしれないが、これが塾講師になって初めての震災体験だった。新年から悲しいニュースばかり続いているので、あえて大変だった悲しかった復旧体験は、ここでは伏せておく。若葉に勤めてからは、鳥取西部地震、2011年の高校入試合格発表日であった東日本大震災、そして鳥取中部地震を勤務中に体験した。鳥取中部地震後は、毎日米子から倉吉へ移動する際、ブルーシートのかけられた家々を目にするたびに、心が痛んだ。ブルーシートを見なくなるまで、かなりの日数がかかったように思う。それだけ復興に時間がかかることを間近に感じた。
 塾業界に身をおいて、30年近くとなる。毎年2月3月は受験生の合格、不合格のプレッシャーの中で闘っている。前述の研修の多かった塾で「合格した時は生徒の努力、不合格した時は自分の責任という謙虚さを持て」という教えを受け、継承しているため、そのプレッシャーは半端ない。また少子化の中で、毎年満席に近い生徒数を、倉吉校舎が今後も維持できるのだろうかという校舎運営責任者としての不安感にも襲われる。他に責任を押し付けることができない性格だけに、その不安感で眠れなくなることもある。この日常から逃げ出したくなることだってある。しかしこの日常…って?この業界はサービス業であり、日常がないことには、成り立たない。この度の能登半島地震での被災者の姿を見て、痛烈にそれを感じた。学校に行くのがやっとの生徒に、塾に通うなんてことは考えられないのである。また輪島の朝市通りの惨状をテレビで見たとき、まるでウクライナやガザ地区の戦場と同じだと感じたのは、僕だけだろうか。復旧復興の見通しは立つのだろうか、何年かかるのだろうか。そんな生活するのがやっとの被災地の人々と比べたら、自分の抱えるプレッシャーや不安感はちっぽけなものだと意識し始めた。だからこそ、被災地に早く日常が戻ることに関心を持ちつつ、平和や日常のありがたみを感じながら、日々を大切に過ごしていきたい。

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