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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第651号 (2021年9月号) そうだ、キャンプに行こう   新庄 純

今月の短歌
秋の日は争い合って楽しくて
 みんなでやろう運動会


米子校舎 小学4年 中西 千世



君たち僕たち① 
米子校舎 高校2年 口村 梨緒さん 

 若葉には中学2年から通ってくれている梨緒さん。写真のようにニコニコ笑顔が素敵で、いつも楽しく笑っている印象の彼女です。若葉に来るのが楽しみの一つだそうで、休憩時間に友だちと楽しそうにおしゃべりしている姿をよく見かけます。また、若葉には、ユニークで優しい先生方がいっぱいとの印象で、先生方とのおしゃべりも大好きだそうです。好きな科目は、数学、物理、日本史など。若葉で習う数学が特に大好きとのこと。高校の授業で疲れているとは思うのですが、若葉でも授業に全力集中。休みの日も、何かしらの科目の勉強の時間は必ず作るそうで、「家でしっかり勉強できるタイプなんですよ。」とのこと。また、お寺めぐりが好きもあってか、関西に住みたいそうで、関西の大学を目指して、勉強に励んでいるそうです。
 将来の具体的な夢はまだないそうですが、先生方に、「彼女は私の教え子だったんだぞ。すごいだろう。」と自慢してもらえるような人になりたいとのこと。そんな夢に向かって日々頑張る梨緒さんです。
(担当 池渕)


君たち 僕たち② 
イズム大学受験科 宮倉 和希さん

 今回紹介するのは、大学受験科の宮倉和希くんです。彼と面談で初めて話したとき、非常に受け答えがしっかりしていたため、学生というより社会人と話しているように感じました。それもそのはず、彼はすでに京都にある大学を卒業し、今年の3月まで日南小学校で講師として働いていたのです。大学の講義で中・高の教員免許を、それとは別にスクーリングにより、小学校の教員免許を取得しました。母校での教育実習は、かなり大変だったようで、授業を大学の教授が見学に来ていろいろ指導されたそうです。私は知りませんでしたが、大学によっては、慣習として大学の教職員が訪問に来る事もあるようですね。
 日南小では充実した日々を送っていましたが、3学期にコロナで生徒が全く登校できないという事態に直面しました。そのとき医療従事者が奮闘している姿を見て、医療系の道に進むため、もう一度大学を目指す事を決心したそうです。大変な事も多いとは思いますが、今までの経験で乗り越えられるはずです。
(担当 板見)

卒業生はいま 
矢崎総業株式会社勤務
阿部 考秀 さん
 

 今回紹介するのは、大阪市立大学経済学部に進学し、今年から矢崎総業(株)に就職した阿部考秀(あべなりひで)君です。矢崎総業は、自動車部品製作を主幹とする、国内外に約24万人の従業員を擁する大企業です。本社は東京にありますが実際の本社機能は静岡にあり、現在彼も研修のため静岡の現場に勤務しています。クレーム処理などをすることもあり、中々ストレスも多いようです。ゆくゆくは営業職として、全国を股にかけることになるそうで、松江にも支社があるので、もしかしたらそちらに勤務することがあるかも知れません。もともと高身長でガタイのいい彼ですが、今は週2日程度ジムに通っているそうなので、今度会うときはその鍛えた成果に驚かされるかもしれません。
 出身の大阪市立大学は、来年度より大阪府立大学と統合し、大阪公立大学になる予定です。母校がなくなることへの感想を尋ねると、彼は文系学部で、府立大学は理系大学であることもあって反応は淡泊。昔から物事にこだわりの少なかった阿部君らしいなと思いました。
 彼と同じ年に本校の新職員である荒島先生が在籍していました。二人は高校が違います。高校が違えば、あまり会話をしないのも珍しくないのに、荒島君は気さくに話しかけてくれて嬉しかったと当時を振り返っていました。いい人にはいい人が集まるものだと思いました。
 最後に後輩へのメッセージです。「大事なことは、どこを卒業するかではなく、そこで何を学ぶかということ。」      
(担当 河田)



学園ニュース(米子校舎・大掃除の風景)
米子校舎では一日2回掃除実施。今日はもっと丁寧に長時間かけた大掃除!

 今年も何とか無事に夏期講習を終えることができました。昨年・今年とコロナの影響で座席数を減らしての開講となりましたが、連日の猛暑の中、参加した生徒たちはしっかりと知識を身につけてくれたことと思います。二学期以降もがんばりましょう!
 さて、写真は七月末、夏期講習直前に行われた大掃除の模様。講習中はお揃いのTシャツでしたが、この日は熱中症対策も考えながら、思い思いのスタイルで掃除に励みました。
 生徒たちには、一見当たり前に思えることも実はだれかの努力によって支えられているということを分かっておいてほしいですね。もちろん、塾に通わせてくれるご家族への感謝の気持ちも忘れずに。        
(担当 鈴木)



職員随想 
そうだ、キャンプに行こう
  新庄 純

 巷では空前のキャンプブームらしい。テレビやYouTubeではキャンプをする芸能人の冠番組が大人気。スポーツショップやホームセンターに行けば、アウトドアグッズの特設コーナーが広がり、様々なグッズが売られている。コロナ禍で三密回避が求められている日々の生活において、広大な自然のロケーションを前提としたアウトドアは、まさに今うってつけだ。
 僕のキャンプ歴は実は長い。一人のソロキャンプ、友達とのキャンプ、家族キャンプ、様々な形で、きちんと整備されたキャンプ場はもちろん、寂れた山奥、砂丘の隅、海岸、池のほとり、いろいろな場所に行った。思い出に残っているものも多い。
 初めて自らキャンプに行ったのは、高校一年生の夏休み。小学生の学校行事や、親戚に連れて行ってもらったキャンプはあったが、率先して行ったのはこれが初めてだった。毎日部活中心の夏休みの、わずかな盆休み期間に、同じクラスのバスケ部のSくんとキャンプに行くことになった。もう一人行くはずだったNくんは、親の許可が出ず、来られなくなった。自転車で日吉津の海岸に行き、米子市から貸借したテントを張り、確か、家から持参した晩御飯を食べたと思う。何故行くことになったのか、二人で何を話していたのかはあまり記憶にない。でもその日付だけは忘れない。夜中にアイスの差し入れに来てくれた母親から、「飛行機が墜落してたくさんの乗客が亡くなったらしい。」と衝撃のニュースを聞いた。あれは一九八五年八月十二日の日航機墜落事故の日。
 主な交通手段が自転車から車に代わると、行動範囲も大きく変わった。社会人になって初めて買った車は、オフロードも走れるジムニー。早速、親友I、Sと三人でこの車をフェリーで運び、隠岐の島にキャンプに出掛けた。日中はガイドブックを見ながら隠岐島前の西ノ島観光名所を周った。運転席は僕だったので、助手席と荷物をぎゅうぎゅう詰めにした荷台の中の申し訳程度の固い席をIとSが奪い合った。舗装のされていない山道も多く、段差を越える度に後席からは悲鳴が上がった。地元の人に道を聞きながら、その晩泊まるキャンプ場を探した。カーナビも二四時間営業のコンビニなどもない時代。目的地がなかなか見つからず、何度も道を間違えて同じところを行ったり、行き止まりを戻ったりした。定番のカレーは、持参したルーが足りなくて、現地調達しようにもできず、バシャバシャの水のようなカレーになった。
 翌年には仲間十数名で隠岐島後へ渡った。天気にも恵まれ、ワゴン車で快適に観光名所を周った。カレーは不可なく完成し、昨年のリベンジは果たしたような気がした。そして買ったばかりのロッジ型の大型テントで何事もなく就寝…のはずだったが、明け方突然、滝のような雨に見舞われた。シートに溜まった雨水の重さでテントのフレームが折れ、顔に張り付いたシートの嫌な感触で起こされた。出発前の新聞とテレビの天気予報ではずっと晴天だったので、油断していた。土砂降りの中でシートを引っ張り、ペグを打った。そんなアクシデントも、失敗も、不便さも、今は懐かしい。
 我が家では二、三年前から、妻にキャンプブームが来ている。それまで主導権は僕にあったのが、日程、場所、キャンプ飯のメニュー、道具の買い替えまで、すべて主導権を握られている。とりあえず、人気のキャンプ場の予約がとってあるので、今月末はキャンプに出掛ける予定だそうだ。

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