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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第650号 (2021年8月号) 入寺〜空白の一年   理事長 吉野 正泰

今月の短歌
思い描く理想の大学夢見てる
まだ高二じゃなくもう高二だな


米子校舎 高校2年 
三好 凪渚
君たち僕たち① 
米子校舎 中学1年 綿部 遥斗さん 

 1歳からグアムで育ち、5歳でサッカーをはじめました。日本人学校でしたが、クラブの子たちとのコミュニケーションに英語は欠かせません。まして一歩家を出ればそもそもが英語漬けの毎日。聞き取れるぐらいにはなったと謙遜しますが大きな財産です。4年生でジャカルタへ。どこまでも続く大渋滞を縫うように走るバイク、ビル街の隙間の暗がりに生活する貧しい人々、狭いリゾート地から、アジアの大都会への移住は驚きの連続でした。6年生で帰国。でも1歳からの海外生活を終えた彼には「日本に来た」と言う方がしっくりくる気がします。ある日、思ったことをその場で伝えようとしたら奇異な受け止められ方をされ、文化の違いを感じたと言います。確かに私たちの空気を読む姿勢は、世界標準ではないと聞いたことがありますね。
 今日はACミランのユニフォームを着てやって来ました。でもサッカーは中学まで。高校では勉強に集中。だって得意な理科や数学を活かした仕事をしたいから。将来、どんな空の下で活躍しているか、楽しみです。    
(担当 佐布


君たち 僕たち② 
松江校舎 中学2年 安達 雅登さん

 AⅠの進歩によって私たちの生活は変わっていきます。いくつかの仕事は姿を消すでしょうし、逆に、新しい仕事が生まれるでしょう。私たちはAⅠ時代にどのように向き合うべきでしょうか?
 このようなことが、中学の教科書で生徒たちに問いかけられます。この問いかけに対して、直ぐに答えることができる大人は少ないです。しかし、驚くことに、雅登くんははっきりと自分の考えを持っています。AⅠの発達によって、障害を持つ人たちを手助けしたり補助できるという良い点もあれば、AⅠが仕事を奪うことで人間らしさがなくなるという悪い点もあるのではないかと雅登くんは考えています。「技術の進歩を積極的に利用していけばワクワクする社会ができるはずだと思います。島根県には、島根にしかない特徴的なものがたくさんあります。出雲大社のご利益や松江城の歴史などを大切にすることで、AⅠの進歩による変化の時代の中でも、自分のふるさとである島根を保存していきたいです。」と雅登くんは語ってくれました。
(担当 永見)

卒業生はいま 
コベントリー大学
吉田 雛 さん

 コベントリー大学はバーミンガムの近郊にあり、多くの留学生を受け入れているイギリスの大学です。ただ日本人は吉田さんだけ。名和中出身の吉田さんは、なぜそんな過酷な(?)環境に身を置いたのでしょう?
 吉田さんは米子東高校を卒業後、私大の併願もせず唯一受験した神戸市立外国語大学に見事合格し進学します。ところが入学まもなく大きなショックを受けました。周りの学生には帰国子女が多く、いわゆるネイティブだらけ。「このままではこの人たちと勝負できない!」と考え、本場英国に、しかも周りに日本人のいない大学に留学することを決意し、実行したのです。
 講義は当然英語、日常生活も英語。2年間を過ごした今でも英語で苦労することはしばしば。ただ、周りには同じ留学生が多く、「特にアジア人といると落ち着きます。ばっちりメイクをして綺麗な洋服を着て講義に出る日本の大学生活より、余計なことに気を遣わないで勉強するこっちの方が私には合っていると思います。」と、居心地は決して悪くないようです。
 卒業後のビジョンは明確です。「今学んでいるマーケティングの力を活かして、まずはイギリスで5年働いて永住権を手に入れます。そしてその後はアジアでありながら世界最先端のシンガポールで仕事をしてみたいです。やはりアジア人と一緒だと居心地がいいですし。」と。
 社会人となって活躍する吉田さんを想像するのは容易です。いつかマリーナベイサンズのロビーで待ち合わせして再会したいものです。
(担当 門脇)



学園ニュース(倉吉校舎)
元気いっぱい倉吉校舎。夏の暑さに負けずがんばっています!

 今月上旬の大雨は「観測史上最大」という言葉を何度も目にするほどでした。それにも負けず、倉吉校舎の生徒みんなが、ほとんど欠席なく通学されたことは、送迎をされた保護者の方も含め、感謝しかありません。毎日暑いのも嫌ですが、毎日雨というのも嫌だと感じた七月でした。
 さて、写真右の盛況だった土曜日の個人レッスンも暫しの休講です。この紙面がみなさんに届く頃には、夏期講習がスタートしているのではないでしょうか。「観測史上最大」というには大袈裟かもしれませんが、倉吉校舎では全講座が満席です。写真左の中学3年のみなさんは、全員参加。この夏は今までで一番勉強した夏休みという思い出を作らせたいですね。全力で指導する暑い夏がやってきました!
(担当 濱)


職員随想 
入寺〜空白の一年
理事長 吉野 正泰  

 朝5時45分。家を出て駅へと歩く。春はまだ暗く、夏はもう明るく、秋になるとまただんだんと暗くなり、冬は夜のように暗く、乾いた寒さで頬が痛い。10分後、駅のホームに上がるとすぐに青色の電車が来る。早朝に電車に乗るのはもちろんラッシュを避けるためだ。東京駅まで17分。数分の乗り継ぎの時間を挟み、中央線に乗り換えて5分。JR御茶ノ水駅に着く。駅を出ると横断歩道を渡り、そのまま左へ数分。マクドナルドに到着。6時30分。いつも同じ時刻。マックの開店時間でもある。オーダーは毎朝同じ。「ソーセージマフィンとミルク」かっこつけているが、ただの冷たい牛乳だ。支払いを済ませ、商品を受け取って結構急な階段を2階へと上がる。だだっ広いフロアに誰もいないことに不思議と高揚する。これも毎朝のことだ。
 一番奥の2人掛けの席に着き、英語のテキストを開く。今日は長文読解の講座が2つあるから予習は大変だ。包装紙を半分開いたマフィンと牛乳を左手に交互に持ちながら、まずは時間を測って問題を解く。そして文中の知らない単語を辞書で調べながら精読、分かったという確信の持てない部分に印をつける。それを2セット。終わった頃には8時を過ぎている。
 マックを出て少し歩くと予備校の赤煉瓦色の校舎が見える。所属する私文一類クラスの教室の座席数は300。クラス名が東大に似せてあるのがちょっと気に入らない。座席はクラス選抜試験の成績順になっている。8時20分からHR。30分には講義開始だ。当時の駿台予備校は1コマ50分。午前中に4コマ。昼を挟んで午後に1~2コマ。講義が終わったら足早に自習室へ向かう。席取りのためだ。秋には急ぐ必要はなくなっていた。この頃には「淘汰」が完了するからだ。
 夕食前の時間は復習と自学。英語、現代文、古文。瞬く間に3時間が経つ。1学期はこの時間のほとんどを数学の予習が占めていたが、夏には受験科目から外した。あまりにも時間対効果が低く、入試本番での安定性にも欠けると考えたのだ。帰宅後夕食をとってからは主に暗記事項に時間を割く。数学分の空いた時間に世界史や哲学の本を読む時間をつくる。あの頃はこんな時間さえ休息に感じられた。
 妹の進学の関係で一緒に上京することになっていた。大学生活が浪人生活になったのは想定外だったし、そのせいで妹には迷惑をかけた。彼女はテレビをイヤホンなしで観たことなどあったのだろうか。勉強中にテレビの音が聞こえた記憶は全くない。夕食は近くに住む親戚の家で食べさせてもらっていた。ただ勉強だけに集中させてもらえることに感謝する日々だった。
 35年前の話。東京の予備校だ。教室に知り合いはいないしスマホなんてあるはずもない。ただ机に向かう。こんな日が300日続いた。夏に2週間ほど帰省したが、食事、トイレ、入浴以外はほぼ部屋から出ることなく苦手な世界史と格闘した。数学を捨てた自分には後がなかった。14日間×14時間。世界史との一騎打ちだった。
 教壇に立ち始めて数年後。大学受験科の卒業生が体験記にこう書いた。「浪人生は修行僧のようなものだ」自分の経験したあの一年を彼も経験し、こんなにも的確な言葉にしてくれたことがただうれしかった。
 昨夕の1号館3Fホール。掃除機を手に歩きながら思う。君たちは、不断の努力という武器を持って、胸中の奥底に渦巻く不安や焦りと正面から対峙しているか?

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