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新! 学校報「泉」 アーカイブ

若葉学習会学校報「泉」 第648号 (2021年6月号) 成長の証か?  角 顕宏

今月の短歌
雨がふり気持ちどんよりためいきに
きらきらと光るあじさいたち

米子校舎 中学1年 
射場 ちさと
君たち僕たち① 
米子校舎 中学3年 西釋 ももこさん 

 マスク着用が当たり前になり、表情が見えにくい現在の生活の中で、感情を伝えるのに大きな役割を果たしているのが「眼差し」です。 
 授業中、生徒の目にはいろんな反応が表れます。ときには「当てないで…。」と自信なさげに、ときには「分かった!」と嬉しそうに、その目が語ってきます。それこそが教員の説明が上手く伝わっているかどうかを測る物差しにもなっています。「目は口ほどにものを言う。」は、まさにその通りだと実感しています。
 中学校では生徒会の役員を務め、剣道部では唯一の三年生女子としてみんなを引っ張るももこさん。彼女は教室の最前列の席から、目で語ってくれる生徒の一人です。
 そんな彼女が最近夢中になっているのは韓国ドラマ。「一番のお薦めは『愛の不時着』です。主人公のヒョンビンがかっこよくて、すごく面白いんです。」と目を輝かせます。
 今年は受験生。志望高合格という目標をかなえようとしているその目は、実は韓流スターよりも将来をしっかりと見据えています。
(担当 新庄)
君たち 僕たち② 
大学受験科 引野 真之介さん

 今回紹介する引野君は、理学部数学科への進学を目指している生徒です。設計士をしておられるお母さんの影響で、設計の美しさに目覚めたのが小学校低学年のとき。その後は小4で星座に興味を持ち、中学校では物理学者を夢見るようになりました。当然、高校では理系を選択し、理系科目の学習を深めるなかで数学の面白さに辿り着きました。
 体を動かすのが苦手という彼が高校時代に選んだ部活動は弓道。弓道を通じて得たものは集中力でした。ボーッとしているのが嫌いという彼は、常に頭を使うことを心掛けているそうです。紙と鉛筆があればできると言われる数学は、そんな彼に最も適している学問かも知れません。実際、楽しいことは、パソコンやゲームと並び、数学や物理の問題を解くことだそうです。多趣味とは言えない彼ですが、好きなものには徹底的に凝るタイプ。人は楽しいことをしていると脳内のドーパミン量が増えると言いますが、数学の問題を解いているとき、きっと彼の脳はドーパミンで満ち満ちていることでしょう。
(担当 河田)
卒業生はいま 
東京海上日動火災保険 株式会社松江支店    
濱﨑 里彩 さん  

 里彩さんが大学を卒業して、現在の会社で働き始めて2年目になります。まさに、社会人として奮闘中です。1年目は事務担当で社内での仕事がほとんどでしたが、今年度から環境が一変。自動車保険のディーラー営業となり、外回りが中心となりました。環境の変化に戸惑うこともありますが、自分の責任を果たすために努力の毎日を過ごしています。通勤は、車ではなく、松江まで1時間かかる電車を利用しています。通勤の1時間を業務に必要な知識を身につけるための勉強時間にしたいと思っています。
 さて、東京海上日動は、損害保険の会社です。偶然のリスクで生じた損害をカバーしてくれるのです。私たちにとって、将来、何が起こるかを予測するのは困難です。自動車事故、火災、地震など危険だらけ。東京海上日動は、そんな「いざ」支える保険を提供してくれる、ありがたい会社なのです。1879年に日本初となる保険会社として創業されました。NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一が創始者の1人という、なんとも歴史のある会社なのです。損害保険の起源は、古代ギリシア。昔、航海のリスクに備えるために、荷主と船主が積荷の損害を分担したことが始まりだそうです。
 保険アドバイザーに大切なことは、「豊富な知識」と「信頼できる人間性」だと里彩さんは考えています。「保険を提案するための法律や税務の知識を身につけることは絶対条件ですが、それ以上に、相手に信用してもらえる人間になりたい」と里彩さんは抱負を語ります。
(担当 永見)



学園ニュース(米子校舎)
こんにちは、荒島です。 よろしくお願いします!

 今回は、この四月から米子校舎の一員になった荒島佳汰先生を紹介します。
 荒島先生は、平成九年生まれの二十四歳。今年の三月に大学を卒業したばかりの社会人一年生です。若葉には中学・高校だけでなく予備校も通った元通学生。好きな科目は数学で、今のところ主に数学科の新庄先生のもとで研修中ですが、今後は小学生の英語など、数学の授業以外でも生徒の皆さんのお目にかかることが多くなりそうです。
 趣味は歌うことと漫画を読むこと。歌は高校・大学で合唱部に所属し、パートはテノール。漫画は幼稚園の頃からずっと好きで、最近は『王様ランキング』と『惑星のさみだれ』がオススメだそうです。ぜひ気軽に声を掛けてください。
(担当 鈴木)

職員随想 
成長の証か?   
角 顕宏 

 若葉八年目を迎えた。この仕事を始めてから超夜型の生活になった。「超」というのは寝るのがもはや朝だからだ。私は臆病で超心配性な性格なので、次の日の授業の準備や雑務を片付けてしまわないと不安でゆっくり眠れない。逆に全ての仕事を終えて布団に入る瞬間の達成感や充実感がたまらない。とにかく仕事がたまると胃が痛くなり、やばいやばいと自己嫌悪に陥る。
 日常生活でも、シャンプーなどの詰め替えは常に余分に1セットはストックしておかないと不安になる。あと一カ月は必要ないし、明日の仕事帰りでもいいのに、夜中だろうが買いに行かないと気がすまない。
 休みの日は、一週間書き溜めた「やることリスト」を消化していく。常にメモ帳がかかせない。本当に困った性格だ。昔は何でも適当なズボラな性格だったが、この仕事に就いてから明らかに几帳面な性格に変わった。
 昔は寿司屋で注文ができなかった。店員に声をかけるのが恥ずかしかった。昔から人前で話すなど奇跡に近い男だった。父親譲りのクールな性格で、人前や目上の人と話すとしどろもどろになり、自分で何を話しているかわからなくなる。しかし、この仕事に就いてからは人前で話すことが苦でなくなった。慣れとはこわいものだ。
 仕事を通じて人として成長していく部分は、仕事だけに限らない。日常生活においても成長が見えてきたと思う。
 八年前の随想で、「仕事の抱負」を書いた。この仕事は思春期の大切な時期の生徒と接する。我々大人にとっての一年と、思春期の学生の一年は、その重みが全く違う。だからこそ、「この仕事に情熱を持てなくなったら多くの人に迷惑がかかるので、きっぱりこの業界を辞める。」と書いた。すると、私の随想を読んだ先代の理事長から「君をそんな風にはさせないから。」とすぐ電話があった。その言葉の意図しているところは今もわからないが、今もずっと頭の中にその言葉が残っている。先代の理事長は「現場で学べ。」というスタイルだったので、若葉に入った頃、右も左もわからないままいきなり「授業してこい。」と言われ不安と緊張で足が震える中教壇に立った。夜は家に帰ると、朝まで授業の用意をした。連日の過度のストレスをお酒で紛らわせる日々だったが、激しい胃痛で全身から冷や汗が出て、支えがなければ立つこともできなくなり、人生で初めての胃潰瘍を患った。惨めな姿にこのまま年を取ることだけはしたくないと思った。今までたいした人生ではなかったが、プライドだけは立派で「感動する授業をしたい。」と心から思った。
 自分の中で人生の転機となったのは十八歳の頃、現ISMで浪人生活時代、現理事長である吉野先生の英語の授業を受けたときだ。今まで習ってきたただの詰め込み型ではない理論型の授業に素直に感動した。それを機に一気に勉強にのめりこんだ。わけもわからず詰め込んできた点と点だらけの知識がどんどんつながり線となる。三十歳を過ぎ、教育業界に転職したいと思ったのもあの時の感動を忘れることができなかったからだ。私もああなりたいと思った。
 この仕事は、お笑い芸人に似ている。テレビで面白いと思われれば一夜で人気が出る芸人と同じように、いい授業をすればすぐに生徒の支持を集める。八年経った今でも「感動する授業がしたい。」と思い続けられるのも、この仕事で人として成長させてもらえた証なのだと感じている。
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