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2019年4月号(622号) 600回のありがとう
2019-04-01
 
 
 
2019年4月号(622号)
 
600回のありがとう

        学園長 吉野 恭治
 
 
春に揺れるこころ
 
「泉」は若葉学習会の学校報として先月621号を発行した。この間に私は一回2900字の随想を600回以上書いたことになる。我ながら長い間よくペンを投げ出さずに書き続けたものだと思っている。
 
1回2500字として400字詰め原稿用紙で4500枚になったように思う。
 
この600編に及ぶ随想の中から約200編を収録した5冊を、自費出版として作成した。80歳を超えた今、60年の連載に終止符を打ちたいと思っている。
 
 
60年の随想の中で、自分が今でも納得のゆくものはやはり人との往来である。その出会いの心情は今もほとんど変わらない。
 
30年ほど前に書いたものだが、当時私の文以上に素晴らしい封書の感想文をお送りいただいた。生徒のお母さんからのものだったが、30年間保存し続けた。そのお母さんも先日90歳で他界された。
 
その折のタイトルは「桜さくころ」。ここに抜粋文を掲載して、60年のペンを置く。
 

「桜さくころ」
 
春のゆらぎのようなものが、風の中に萌えるのがわかる気がする。「季節の気配」という自然のディレクターの演出の細やかさは、時勢の人の思いも超えて、さまざまに鮮やかである。春が来るのがよくわかる。
 
しかし人の心の匂いも色も、それにくらべるとずいぶんと複雑で、とてもそれを嗅ぎわけることはできない。
 
人の心は季節のようなくり返しのパターンももたないし、「愛する時」「憎む時」「悲しむ時」「憩う時」の間にさだまった脈略もない。その変わり方は速くもあり、緩やかでもあり、時に哀しくさえある。
 
人を愛することは、その人の心の色を愛することとは違うから、心の色に染まりきれない時、人はその人から去ることになる。そういう人と人のかかわり合いは、自然の織りなすせん細なハーモニーとは違って、更に深くこまやかな気くばりに支えられているとしかいいようがない。
 
 
年齢の割には多いのか少ないのかわからないが、二十組近い仲人を経験した。その経緯もそれこそさまざまである。
 
父の知人の子息であったり、教え子であったり、「若葉」の教員であったりする。ほんとうにはじめて逢う日からを知りあっているものあり、迷いながら嫁ぐものあり、熱く燃えてしまっているカップルあり、永すぎる春組もある。
 
その時が再婚のものあり、今が当時より幸せそうな人たちもあり、いくたびか危機のあった組み合わせ、すでに清算の終わった組もある。そのさまざまの人間模様に、時折深い感慨に襲われたりすることがある。
 
人の心がかわらぬ情熱を持ちつづけられるとは思えない。愛し合ったもの同士の想いが歳月を経てもかわらぬなどということはないといっていいだろう。
 
むしろかわるからこそ人間らしくもある。
 
だから会社や世間との人との交わりに、傷跡を残すようなやりとりがあるのも当然で、夫婦の間にもこれと同じ感情の流れがあるようである。
 
今日の日に破局を迎えるのかと思わせるようなやりとりがある。ハラハラして見ているが、いつの間にかもとの状態に戻っている。
 
その原因が、人間として許せないだろう思うような場合でさえ、許してしまう例に幾たびか出会った。
 
信頼というものさえも、すべてくつがえされてさえ、人は傷だらけでも捨てられない生活というものがあるようだ。そのあり方に、啞然とする時もある。そして人の心とは実は意外といい加減なものだと思えてならない。
 
そして、そのいい加減さが、人を救うのだともいえる。一つ一つの出来事を、究極まで追いつめて結論を出さねばならぬような生き方が、決していつも幸せな結論を生み出すとはいえないといっていい。
 
 
一つの例があった。
 
子供もあり、家庭もあり、生活もあった。ところが夫の裏切りが、愛人の妊娠という形で妻へ突きつけられた。
 
ささやかな家庭は大騒動となった。いくたびかの話し合いももはや無駄と思えた。
 
しかし思えたのはとりまきの者たちで、当人同士では和解が成り立っていた。何もかものみこんで許した妻のあり方が、今となっては幸福な一族図を作り得ている。
 
 
もう一つの例がある。
 
自分の意志や考え方の間に入り込んでくる妻の考え方を、わがままとしか理解できない夫があった。
 
妻としては自分の生活のエリアを守りつづけようとした。夫はそれが許せない。結果は夫婦としての生活の清算となった。
 
しかしその互いに自分に忠実な生き方が、今決して、二人のそれぞれに幸せをもたらしているとはいえない。人生へのみつめ方のきびしさが、いつも幸福につながりはしない。
 
 
人の心は、だからいい加減でいいのだと思う。その日その日でゆれ動いて、動きながらの考えが幸せであることの基本でさえある。
 
そのことで人を責めたり批判したりはできない。
 
 
考えてみると、自分も自分なりに、人に裏切られたとしかいえないような状態をいくたびも体験した。自分に注がれる気くばりも愛情も越えて、人は平気でそむくものだと思う日もあった。
 
しかし、改めて考えてみれば、それだからこそその人も自分なりの道を歩めるのであり、それでいいのだとも思える。
 
かたくなな想いも、まっすぐな人間らしい一途さも、人を幸せにする条件とはいえない。
 
時の流れの中で、人も出来事も、許せたりあきらめたりできる器量こそが、自分を幸せにするものだといえよう。
 
 
披露宴の席に招かれることが多い。その席で出てくるスピーチもほとんど同じである。
 
型破りがいいとはいえないが、新郎新婦の緊張と、実はうわの空の心にむかって、くどくどと人生論を説くのは愚である。
 
あれらの輪のまま生きたら、間違いなく幸せにはなれないと思えるのである。
 
 
 
桜咲く頃はいい。心もなにかはなやいで、また一年を越えて生きてきたほっとする想いをかみしめる。
 
やわらかな雨も、夕ぐれの甘さも春ならではある。
 
満開の桜の花びらの小さなピンクの一枚一枚が、季節の中に輝くように見える。
 
忘れてしまえばいい、あきらめてしまえばいい、そう思うと春の想いはやすらかだ。
 
よくいう「春宵」という時間は、「春傷」という心のあり方のひとときかもしれない。
 
(1987年4月)

600回のありがとう
 
次の月は「何を書こうか」とか、「先月はあれも書けばよかった」とか、そのような思案や反省をこれからは月例行事のように繰り返さなくてもいいと思うことで、随分と気分的に救われる。
 
多くの小中学校や高校にも毎月送らせていただいたが、来月からは単なる学校内のニュースの広報紙となるので、この月の「泉」で送付を最後とさせていただく。
 
 
今年はゆったりと春を送る。多謝。
 
 
 
2019年3月号(621号) 恋を想う五月雨~青春時代の真ん中で~
2019-03-01
2019年3月号(621号)
 
恋を想ふ五月雨
 
~青春時代の真ん中で~
 
        学園長 吉野 恭治
 
 東洋大学が創立100年を記念して「百」に関する記念事業のひとつとして始めた「現代学生百人一首」は今年も成人の日に発表されると大きな反響を呼んでいる。わけても今年は「箱根駅伝」で3位となるなど、大学への注目度が高い年である。中学生から高校生を中心に、応募校は460校、57446首の応募があり、その中から「今年の100首」が選ばれた。若い人ばかりだから、若くないと詠めない視点も、感傷もあり、それが毎年とても楽しい。ことに青春時代、淡い初恋の感情の吐露が鮮やかに心地よい。私がいちばん心惹かれた歌は、新潟の高校2年の女学生の歌である。
 
月曜は19時半の越後線
1号車には君が居るから
        東京学館新潟高等学校2年 菅沼 麻沙
 
この歌のすばらしさは、越後線という北国のどこかひびきも寒い鉄道路線と、反転して「1号車には君がいる」
という暖かな車内の表現に感心するからだろう。そうした視点で味わうと、この歌もまた現代風に楽しい。
 
「生茶」より「綾鷹」がいいと言う
 君は私のどこがいいと思うの
           伊那西高等学校2年 小島  和
 
そうした青春時代をさまざまに詠ったものをいくつか列記してみる。なかでも中学2年の梅崎さんの歌は、すでに感性の上で成人しているようにも思える。
 
夕凪が風鈴さえも止めるのに
 時間はとまらぬぼくらの青春
         鹿嶋市立平井中学校2年 梅﨑 沙彩
 
数学を教えてもらうその代わり
 バッハのカノン君に聴かせる
          吉祥女子高等学校1年 森 はるか
 
冬の日にあなたと二人歩く夜
 手袋してない私に気付いて
        千葉県立小金高等学校3年 大山 桃生
 
「お前」って君はいっつも呼ぶけれど
 私の名前そんなに嫌い?
       秋田県立秋田西高等学校1年 岩谷 ゆい
 
新聞紙進路のために目を通し
 君を見つけたお悔やみ欄に
      新潟県立長岡農業高等学校3年 秋山 柚紗
 
「あ、おはよう!」あなたは毎朝言ってたね
 今日も聞こえるよ雲の上から
     東京学芸大学附属高等学校 1年 正林 環奈
 
こうした歌の題材の区分のなかでも、この世代ならではというものは、「学校生活」だろう。学芸大附属の佐藤君の歌は感情がこぼれるほどに秀逸で、降り注ぐ緑の中を走り抜ける躍動がたまらない。
 
新緑の木々の間を抜けてゆく
 覚えたばかりの校歌とともに
      東京学芸大学附属高等学校1年 佐藤  航
 
 もう一首、沢邑さんの歌、夏の部活であふれる汗、その汗が前髪を伝わって、ちょうどバーコードのように見えるという歌はうまい。我々世代では発想できない。
 
滝の汗前髪ぬれてバーコード
 部活女子の夏の天敵
        東京都立片倉高等学校1年 沢邑 仁菜
 
 ほかにもいくつかの秀逸な「学校生活」の歌を味わっていただきたい。
 
日本史の教科書載ってるあの人も
 ゲームの中では私の恋人
       埼玉県立越谷西高等学校3年 小太刀玲奈
 
帯をしめ天井あおぎひと呼吸
 一本の声ぼくの初勝利
           国士舘高等学校2年 亀山 頼孟
 
アルバイト笑顔で貯めた諭吉様
 一人二人と旅立つのですね
        静岡県立下田高等学校2年 藤沢 未羽
 
友達に気分を合わせ猫かぶる
 「自分」を演じ今日も過ぎてく
        東京都立大森高等学校3年 坂本 尚斗
 
目の前に私がいるのにケータイに
 夢中になって透明人間
       東京都立美原高等学校1年 内田 佳恵
 
若い時代はなにより「家族」のぬくもりも歌の対象となる。みずみずしい感性で詠う今どきの「家族」、そこに歌われた蝉しぐれも、ハルジオンも新鮮で優しく響いている。
 
蝉しぐれお墓の前でこだまする
 聞こえてますかひいおじいちゃん
       千葉県立千葉西高等学校1年 佐々木 萌
 
ハルジオン祖母の教えた花の名を
 ふと思い出す日向の病室
        専修大学附属高等学校1年 冨岡 千夏
 
簡単なアイライナーの引き方を
 八十一の祖母に教える
             秋田大学4年 加藤 菜々
 
「地元出る。」決意を伝えたその時の
 涙溢れた母の表情
      山形県立酒田光陵高等学校3年 佐藤 優花
 
上京後一人暮らしでする料理
 決まっていつも母の献立
              東洋大学1年 阿部健太朗
 
携帯を見つめてばかりの若者よ
 私の祖母に席をゆずって
        武蔵野市立第四中学校2年 髙田 乃瑛
 
 100首の歌にはさまざまに力作が多いが、社会風景や季節の風物を巧みに詠みこんだものも多い。
 
無くそうと言えば言うほど隠れてく
 心にキズを負った人々
       埼玉県立坂戸西高等学校2年 日野萌々香
 
梅雨の日の薄暗い道のそこだけに
 光があたったような紫陽花
            十文字中学校2年 能見 倖凪
 
「平成」とならずに混乱三十年
 次の時代こそ「平成」なるか
            成城中学校1年 福宮 友樹
 
二歳の子助けてくれたヒーローは
 優しいこころの七十八歳
        武蔵野市立第四中学校2年 根岸 颯汰
 
 いじめのケースや行方不明の幼児など社会問題も巧みに織り込まれている。私がこの32回目で最も好きだった歌は
 
教室で百人一首を学びつつ
 まだ見ぬ恋を想ふ五月雨
          四天王寺高等学校2年 岡田 直子
 
「想う」でなく「想ふ」であることだ。ひらがな一字で歌は生きもするが死にもする。岡田さん、いい歌ありがとう。

 
 
2019年2月号(620号) 私大はどこを選ぶか?
2019-02-01
 
2019年2月号(620号)
 
私大はどこを選ぶか?
 
 
        学園長 吉野 恭治
 
 
 
 18歳人口の減少とともに、各大学がその対応を次々と実施している。その発想はユニークなものが並んでいる。しかもその発想から垣間見える「明日の大学」が新しい進学指針を示しているように思える。大学は全く新しい時代へすでに突入している。このことをよく学んで受験や、進学を決めねばならない。2018年、日本にある大学は780校にも及んだ。ところが学生数が定員に満たなかった大学が200校を超え、大学総数の実に36%にもなっている。定員充足率が50%を割る危機的大学も増えている。
 
 文科省は都市集中の弊害を考え、東京23区内に19年度の学生定員の増加と学部・学科の新設は認めないとした。早稲田大学はこの方針を踏まえて、学生数の減員をすすめている。平成13年からすでに3000人の減員を実現したが、さらに6000人の減員を考えている。
 
 ところが中央大学は多摩キャンパスに20年から健康スポーツ科学部を新設して、増員・拡張を目指している。校地の面積は日本大学が30000000㎡、早稲田、慶応が2000000㎡を超えているが、23区内にあるため増員はできない。しかし中央大学は多摩に主キャンパスがあり、東京23区には入らない。思いのままに新学部の開設ができる。このように拡張と縮小の2つの方向をとる大学がある。
 
 国から各私学を応援する私学助成金というものがある。毎年交付されるが、これが大学の大きな収入源であり、各種計画の財源となっている。これは学生数で決まるのではない。学生数ももちろんだが、運営計画、研究業績、学部内容など加味して決まる。私学1位は90億円に達する早稲田、2位から4位は80億円台の東海、慶応、日大と続く。立命館が55億円、明治が42億円である。
 
 そしてこれらの助成金の多くの部分は、学生支援に使われていく。(表①)
 
 皆さんは早稲田のWISHをご存知だろうか。WASEDAINTERNATIONAL STUDENT HOUSEのことだ。中野駅から近い早稲田の学生寮で、ここだけでも900人、24か国からの留学生や日本人学生が入居している。1Fのエントランスはセキュリティつきのドアに、24時間体制のフロントデスクの警備、すべて11Fまでが個室、4つの個室が1つのユニットのように設計され、各階に自炊できるコミュニティキッチンもある。2Fにはフィットネス・音楽室・大浴場などがある。毎月の寮費はわずか53000円、まさに学生の支援である。学生寮に入れる学生数は早稲田が突出していて6500人。2位以下を大きく引き離している。(表②)
 
 学生支援のユニークさでは近畿大学も負けてはいない。東大阪キャンパスの「アカデミックシアター」はそのユニークさでも日本を代表するといっていいだろう。ことに5号館と呼ばれる建物は、実に7万冊の蔵書がある図書館で、ほかに学園祭のコンサートホールに中と外が一瞬につながる設計にも驚かされる。ここには24時間自習できる自習室があったりして、ほとんど驚きの斬新さである。こうした設備も大学の明日につながる。
 
 大学の活性状況を判断する材料のひとつに、科研費というのがある。科学研究費補助金のことで、公的補助金である。科研費は18年度は2286億円にも上るが、なんといっても国立大が上位を占めている。私大1位の慶応義塾は全体では10位で35億円。私大2位の早稲田は全体では13位で25億円、私大3位の立命館大学は全体では24位で12億円。科研費の増強はこれからの私大の努力目標となろう。(表③)
 
 受験生にとってより大切な指針は、教員一人当たりの学生数である。国際基督教大学がトップの位置を守り続けているが、早くから外国人教師を採用し、着々とその位置を上げていった。教師一人当たり、学生19人というのはなんともすごい気がする。キメの細かな教育というのはこうしたところから生まれてくる。(表④)
 
 ところでこれからの大学をいくらかの視点から見ていただけたと思うが、大学の評価を「偏差値」で片づける時代は次第に変わってきている。この傾向は2006年頃から現れはじめ、「偏差値」だけがすべてではないことに社会的な覚醒が起きている。親切な内容のいい大学はどこかというテーマで、2000校にも上る高校教師のアンケートでは実にユニークな内容になる。金沢工業大学は毎年1位を続けているが、その評価は2位の東北大の2倍を軽く超える。阪大や京大の11倍にもなる。さらに驚くのは就職率のすごさだ。卒業生300人までの規模では岐阜県立看護大など4校が100%、卒業生が1000人までの規模では富山県立大などが98%、卒業生2000人までの規模で金沢工業大98%、卒業生2000人以上の規模で芝浦工大96%などとなっている。高校教員へのアンケートは1位5点、2位4点、3位3点として集計したものである。新時代だ。
 
2019年1月号(619号) 予想をふり切るサスペンス
2019-01-01
 
2019年1月号(619号)
 
亡き義母との正月
 
   ~七十年の彼方の華やぎ
 
 
        学園長 吉野 恭治
 
 
 
 父は私が10歳のころ再婚した。母が他界して5年ばかり過ぎたころだった。父のその当時の決断のありようを、いまさら聞くすべもない。2月のみぞれの降るような寒い夜に、義母は人力車に乗って嫁入りをして来た。その頃の結婚式は、まだそれぞれの家で行う時代で、母方の親族も何名かが同行してきた。普段は祖母と父と私との3人暮らしだったが、突然にその夜はにぎわった。義母は20代半ばで、初婚だった。
 
 我が家に4人目の家族を迎えたのだが、今まで古風で静かな家が、新しい母ひとりの存在で、華やいだ。かなり記憶のかなたではあるが、その翌年の最初のお正月迎えは、今でもさまざまの記憶が断片のように残っている。台所の板の間にゴザを敷き、祖母と義母と私の3人で餅ばなやお餅を作った。その頃お餅を搗く(つく)というのは2~3人でチームをつくり、民家を巡回して、依頼した家の前で「餅つき」をやるという方法があり、その方法をとる風景も多かった。あらかじめ予約して、もち米を焚き上げる時間を予定して待つのが楽しみだった。つきたての餅の塊を、3人で手早く「餅」にする。そして餅ばなを枝に取り付け、神棚の横に括り付けて飾る。新しく母を迎えた「お正月」の準備は、本当に一つずつが華やいだ楽しさがあった。
 
 街もまた華やいだ。大晦日が近くなると、掃除やガラス拭きなどで、いつもより商店街に人の姿も明かりも遅い時間まで多かった。街自身が活気を産み出すような「活き活き」とした姿が、大晦日の前には続いたものである。神棚に昆布を飾り、お神酒を供え、気持ちのせいだったと思うが、家の中がすっきりと明るく、そうした空気を「お正月の匂い」と考えていた。この匂いには家庭による差があろうし、そのことが「お正月」を家族行事と思わせる原因でもあった。
 
 家庭の主婦は夜は大晦日の数日前から「おせち料理」づくりが始まる。我が家でも祖母オンリーだったおせちが、母を迎えて何種か新鮮味を加え、そこそこ華やいだものである。飾り、掃除、それに調理、すべてがかたづくのは大晦日の、それも夜に近い。義母が嫁いできた当時、まだ「紅白歌合戦」は始まっていない。多くの主婦が台所で耳傾けながら「見た」というより「聴いた」紅白は、第1回のテレビ放送が1953年、昭和28年でそれからのちのテレビの普及率を飲み込んで、「紅白歌合戦」は国民的番組となった。大晦日の主婦としての仕事を一通り片づけて、それから美容室へ出かける。理容室も深夜まで営業を続けたが、美容室は夜明けまでである。義母が早朝4時ごろに帰って来たのを何年か知っている。母が髪に花飾りをつけて、はじめて見るような髪型で帰ってくると、「お正月なんだ」と実感した。それだけでうちの中が華やいだ。考えてみればそれはもう新年である。道路は「初詣で」の人々も多く、義母のように大晦日を引きづりながら、新年の朝を迎える者もいた。銀行も深夜まで明るく、神社の近辺は屋台でにぎわった。
 
 紅白歌合戦が国民的番組になったのは、テレビの普及の進んだ昭和35年、1960年くらいではないか。その頃から次第に「お正月の準備は早い目に済ませて、夜は家族全員が炬燵に入り、テレビを見る大晦日」になっていったように思う。プレ正月とでもいうべき時間で、働き駒のような主婦の姿を変えていったといえるだろう。
 
 この間六本木の、デザインが売りの小物を扱う店に出かけて、お正月飾りを買い求めた。しめ飾りも斬新なデザインのものが多く、数千円以上はする値段から言っても、1年で焼いてしまうというのも困ると迷っていると、販売スタッフの女性が「最近は何年か使われる方がほとんどです。毎年取り換えるなんてなさいません」という。「お正月飾りなんてしないのよという若いお客様も多くなりました」とも聞いた。お正月が荘厳な行事で、どこか神々しいものであった時代は、もう戻らないのではないか。しみじみと回顧と反省を込めて除夜の鐘を聞くこともなくなるのではないか。つまり「お正月の一連の儀式や飾り」は各家庭のプライベートな問題になりつつあるように思える。
 
 つい先日、秋篠宮はご自身の52歳の誕生日の会見で19年11月14日に行われる大嘗祭の費用は国費で賄うのは適当かどうか」と疑問を呈された。こうした行事は皇室のプライベートなものであるという意見で、伝統的な行事も時代とともに変わることはいいことだという意向にもなっている。「残念ながら宮内庁が聞く耳を持たなかった」とまで述べられた秋篠宮の強い批判は、行事すべてを古式豊に行う必要はないというようにも思える。前回、現天皇の即位の際の大嘗祭も、国費であったがおよそ22億円もの費用がかかったという。
 
 庶民のお正月の姿が、大きく様変わりするのは当然であろう。門松を立てる家はほとんどないし、しめを飾らない若い夫婦も増えているという。自家用車にしめをつける家庭もめっきり減った。うらじろなんて知らない人もいるのではないか。羽子板も羽根つきも過去のものとなっている。
 
 おせち料理の変貌にも驚く。定番だった黒豆も栗きんとんも若者に人気がない。数の子はいつの間にか高級食材となっている。山陰ではまだ定着度の高い小豆雑煮も、その甘さゆえに敬遠されつつある。しかも急激にそれらの傾向が進んでいる。
 
 主婦が晦日近くに頑張って作る「おせち」も、一時は冷蔵ものが出回った。たしかにすでに盛り付けて届く「おせち」の便利さはそれなりの価値があった。しかし家族間で料理の好みが異なると、残りものとなる料理もあり、なによりも冷蔵物は保存できる期間が短い。それに輸送中の荷崩れで商品価値の落ちる場合もある。そこで冷凍ものの「おせち」が登場した。好きなものを食べたいときに解凍し、場合によっては1年でも保存できる。今は冷凍の「おせち」が主流という。私が驚いたのは、九州のある一業者で、今年の「冷凍おせち」の受注が、すでに16万個に達しているというすごさである。
 
 新しい母が嫁いできて70年もの歳月が流れた。70年の間に日本の家庭の伝統行事の姿さえ大きく変わった。お正月が襟を正すような期間とは違ってきているのだ。流れるような歳月の中で、小学生だった私は、新妻らしい匂いをたたえたあの頃の母を思い出す。義母が逝きてはや30年、父が逝きて50年、時は無常に流れる。
 
 父が亡くなった時、僧侶が静かに詠ってくれた「ご和讃」に涙が止まらなかった。あれ以来神式であろうと仏式であろうと、人のこころを強く打つものがあることを知るようになった。お正月の儀式の中にもきっとそうしたものが息づいて、時に応じて、やさしく強く、わたくしたちを包んでくれると信じている。
 
 
2018年12月号(618号) 予想をふり切るサスペンス
2018-12-01
 
2018年12月号(618号)
 
予想をふり切るサスペンス
 
   ~新境地の映画づくり~
 
 
        学園長 吉野 恭治
 
 
 映画「サーチ」は2018年に公開されたアメリカ映画である。有名なスターは出ていない、作品としてはわずか1時間40分ほどのもので、公開前に話題となる要素などまったくなかった。その意味では例のド派手なハリウッド映画ではないことは確かだ。そうした意味で地味な映画は、ほとんど日本では東京の100名程度の収容人数の小劇場で公開となる。TOHOシネマズ系やムーヴィックス系、それにバルト9系など多くの系列館を持つルートで公開されないことが多い。ところがここに面白い傑作が年に何作か登場する。大劇場で公開されないだけに残念だが、配給上映する作品を決定する側にも、そうした映画の質を見抜く目のない場合が残念ながらあるといえる。映画「サーチ」はそうした意味で注目しておきたい要素を持っている。
 「サーチ」はその面白さにTOHOが目を付けたということである。東京の東宝系ではTOHOシネマズ日本橋・TOHOシネマズ日比谷・TOHOシネマズ新宿・TOHOシネマズ六本木などメイン劇場で上映されている。アメリカ国内でも公開館数が急激に増えているという。
 ところがこの山陰で上映する映画館は、今のところ一館もない。映画「サーチ」が見られないのである。「週刊朝日」の映画評で「なんと新鮮なこの発想!」と絶賛された映画を観る機会がないのは、なんとも惜しい気がする。
 映画「サーチ」は普通の映画ではない、画期的な制作意識で映画化された狙いは、この映画は全編パソコンのモニター画面だけであるということだ。モニター画面以外は、この映画には1秒もない。鮮やかにそうした画面だけで、観客の予想をひっくり返すようなストーリーが展開する。その面白さと奇抜なアイディアに仰天する。    
 主役である父親のデビッド・キムはシングルファーザーである。一人娘の高校生マーゴットと親子2人の家庭だ。マーゴットの母のパムは3年前に死亡している。そのがんの闘病の記録や、キム家のさまざまの行事の記録が、キム一家のPCに、いまもパムのファイルとして残されている。ナレーションを一切使わず、モンタージュでキム一家の歴史を見せる。観客は映画の最初の部分で、デビッドとマーゴットが互いにかけがえのない大切な存在であることを知ってしまう。導入から展開へ気持ちがいい。
 ある日、ごみを捨てずに学校へ行ってしまったマーゴットに、デビッドはFaceTimeで連絡する。そんな父に対しマーゴットは「今日は友人の家で勉強会。徹夜になるかも」とテキストメッセージを返す。その夜マーゴットから着信があったが、熟睡していたデビットは気づかず、朝まで帰ってこなかったマーゴットにあわてて連絡を取ろうとあらゆる方法を試みる。父親は娘のメールやSNSを調べる。FacebookやTwitterも念入りに調べる。結果デビッドが知らないマーゴットの生活、交友関係がわかる。ピアノのレッスンはもう半年も前にやめていた。毎週渡していたレッスン料はどうしたのか。2500ドルにも及ぶ。デビッドは改めてマーゴットの友人をほとんど知らなかったことに気づく。ただ中学時代の友人アイザックの母に連絡が取れ、「マーゴットはみんなでキャンプに行っている」と聞く。アイザックに連絡を取ると「マーゴットは来なかった」という。忽然と姿を消したわが娘、すでに37時間が過ぎようとしていた。ついにデビッドは「娘が行方不明になった」と警察に届け出て、捜査が始まる。家出なのか、誘拐なのか、デビッドはマーゴットのPCにログインして、SNSにアクセスを試みる。しかしそこに映し出される娘の姿は、父親が知っている日ごろの活発で明るいものではなかった。
 マーゴットは学校では孤独だった。さらにマーゴットの預金口座から1週間前に2500ドルもの大金が誰かに送金されていた。
 「娘はどこへ行ったのか」父デビッドの懸命な調査と不眠の努力、そして事件の担当者となったヴィック捜査官との打ち合わせ、協力調査が始まる。ヴィック捜査官は女性だったが、熱心で気力にあふれていた。マーゴットと同世代の一人息子もいて、とくにその対応が見事だったし、親としての判断能力にも優れていた。
 街なかの防犯カメラの映像から、マーゴットが車を運転して街の外へ向かうのを確認する。ここに至ってヴィック捜査官は、「マーゴットは家出ではないのか、自分の意志でどこかへ向かったのではないか」と思うようになっている。そのことをデビッドへ伝えるが、デビッドは娘がこの家を出てゆくなどとは到底考えられなかった。この映画のストーリーを最後まで書き綴ることは容易である。しかしそれではいつの日かこの日本のどこかで観るチャンスに遭遇された場合、山陰で遅れながらも上映されることになった場合、あるいはDVDが発売された場合などなどで、ストーリーのすべてを知ってしまうことは「ネタバレ」といい、読むことはいい行為とは決して言い難い。もちろん私もここにすべてのストーリーを記載したりはしない。ただ言えることは誰もの想像を超える鮮やかな結末になっている。しかも理路整然と。
 さて「サーチ」という映画、改めてその着想の独創性を考えてほしい。娘が日常的に利用していたFacebookやTwitter、それにTumblr,さらにはYouTubeの動画、防犯カメラなどが使われ、映画はパソコンの画面から一度も離れない。100分ほどはただモニターを見るという鑑賞方法である。これがまたとてつもなく面白い。
 担当捜査官と父親デビッドのやりとりは、電話のカメラ機能が使われる。被疑者が出てくるわけではない。それはただふたりのやり取りに過ぎないが、手に取るように話題の中心の人物の行動がわかる。これはもはや絶妙の映像マジックといえるのかもしれない。
 マーゴットは果たして生きているのか、彼女の運転していた車はどこへ消えた?2500ドルは誰に送金された?そうした多くの謎をじっくり考えている間がない。次々と事件が進展し、そのたびに観客は右往左往する。ただ間違いのないことは、この映画のいたるところにそれらの解決の糸口がばらまかれているということである。ある評論家がこの映画についての所感で「この映画を観る時は、スクリーンの隅々までも目を凝らして捜索することだ。それをサーチという」と述べている。デビッドより先に事件の真相にたどりつけるかもしれない。
 監督はアニーシュ・チャガンティ。製作はティムール・ベクマンベトフ。脚本はセブ・オハニオン。3人の新鮮な映画への情熱が、楽しい、面白い、斬新な映画を作り上げた。
 この映画を評して「予想の斜め上を行くサスペンス」といった人がいる。「斜め上」がいい得て妙である。
 
 
※この文章は映画鑑賞後(11月になってすぐ)に書き、印刷へまわったものです。その後、出雲のTジョイにて11月23日より上映されました。
 
2018年11月号(617号) だれもが健康に生きたい
2018-11-01
 
2018年11月号(617号)
 
だれもが健康に生きたい
 
  ~過剰なカロリーとの闘い~
 
        学園長 吉野 恭治
 
 
 30年ばかりの昔、50歳に手の届こうとする頃だった。私は異常な倦怠感に襲われ、診察を受けた。即刻入院という指示で、糖尿病だった。原因は体質遺伝、過食、心的ストレスなどであろうといわれた。病院の理事長も主治医も教え子の父親であることがいくらかの救いだった。一夜のうちに環境は激変した。
 入院すると直ちに過食、エネルギーの過剰摂取の防止が挙げられた。私はもともと過食というほどの大食漢ではなかったが、言い渡された1日の摂取エネルギーは、1600キロカロリーまでの制限だった。
 先日発表された「厚労省の国民の健康と栄養調査」の結果によると、40歳代で男性は1日2153キロカロリー、女性では1704キロカロリーが標準である。当時私は平均から1日500キロカロリーを減らさねばならなかった。女性であれば制限量とほぼ同じである。(図表①)その頃体重は70キロに届こうかという状態で、現在のように50キロを切った状況では比べるべくもないが、肥満している人の割合は、現在なら(図表②)をご覧いただきたい。日本人男性は40歳代で35、3%、3人に一人は肥満であり、糖尿病予備軍である。ところが同世代の女性は17・4%で男性の半分である。テレビCMで女性の肥満対策のサプリメントがたくさんあるが、意外と肥満者は少ない。(図表③)の「糖尿病が強く疑われるもの」では40歳代は8.1%、女性は3.1%、しかし男性は70歳代で25.7%にもなり、3倍になる。女性も19.8%にもなり、6倍に急増する。ただいずれにしても高齢者となる前の対策が必要であることはよくわかる。また糖尿病発病の割合が、男性が極めて高く、女性は低いのは遺伝の因果関係か、酒とたばこの生活習慣によるものかわからない。ところで肥満と予想される人や糖尿病予備軍の人に参考のための食事計画をお伝えしたい。
 糖尿病の予防にとり組むには、あらゆる食品を単位で知り分けることが必要で、日々の訓練で大体つかめるようになる。食品単位表では1単位を80キロカロリーと定めている。糖尿病の人は症状の重い人は1日15単位から、重症でなければ20単位くらいとなる。健康な一般成人だと25単位から28単位くらいになる。ちなみにご飯は茶碗に軽く1杯で2単位、少量のご飯でも1日3回で6単位になる。パンは4枚切りのトーストで、バターやジャムを塗ると1回が2単位を軽く超える。野菜だと1日1単位でかなりの量になるので、健康対策にはいいが、カボチャやジャガイモは要注意。私は4回ばかりの入院経験で、どの折も1日1本の牛乳を取り入れられた。牛乳瓶で1本は2単位を超える。それでも栄養補給には最高の効果を持つと知った。
 参考までにお伝えしておきたいが、脂系のものは全体に高カロリーである。仮にカツ丼を注文すれば、12単位に近い。カツカレーも同様である。もしカツカレーにスープ程度の添え物と福神漬けを用意すれば、これだけで13単位近くになる。糖尿病の治療中にはあと2食で7単位程度しか残らない。牛乳の2単位で残り5単位。ほとんど空腹は満たされない。食事制限のつらさや厳しさをよく理解してほしい。
 今回の「国民健康調査」で日本人男性の平均寿命は約81.1歳で世界3位、女性は約87.3歳で世界2位、世界的に見れば、男女とも長命である。しかし女性が男性より平均6歳も長命である理由は、女性ホルモンの関係とか、家庭労働における適量の運動を挙げる人がいる。しかし今回の調査を見ていて思う。ここに掲載していないが、20歳以上の女性は男性より最高血圧は10以上低い。食塩の摂取量(図表④)は男性が1日10.8g、女性は9.1gで、女性がかなり低い。ついでながら喫煙者の調査(図表⑥)を見ていただきたい。男性では20代では26.6%ですでに4人に1人になっている。しかし今回の調査でも30代、40代の男性は40%に近い。ところが女性の喫煙者は平均でも7.2%、最も多い40代でも12.3%、70歳以上だと2.9%である。これらの事象を比べてみると、女性が長命である理由がよくわかる気がする。(図表⑤)で男性が60歳代から運動習慣を持つものが多い。しかしこれは会社勤めが終わって手持無沙汰な時間を利用できるからではないか。
 
 
2018年10月号(616号) 女医をあきらめない
2018-10-01
2018年10月号(616号)
 
女医をあきらめない
 
        学園長 吉野 恭治
 
  
 ニューヨークのマンハッタンにあるニューヨーク大学は世界的にもランクの高い私立大学である。ニューヨーク大学が私立であることを知らない人も多かろう。今年8月、この大学から発表された新方針は世界中を瞠目させた。この大学の医学部に現在在学するもの、今後入学するものの学費を全て無料にするというのである。成績や収入に関係なく一律に実施される。学費には授業料、寮費、食費のすべてが含まれる。言ってみれば個人的な負担は0となる。現在年間学費はおよそ5万ドル(約550万円)であり、この制度を持続するには10年間で660億円、大学側はすでに10年前からこの取り組みをはじめて、今までに500億円の寄付を集めた。今後の10年間の見通しが立ったというので、実行に踏み切ったのである。アメリカの若い医師は平均2200万円の借金を背負っているという。これはほとんどが医学部在学中の学費である。この負担に耐え切れず医学部の進学をあきらめる学生が多くなっている。ニューヨーク大学は将来の医学界の才能を基本的に失いつつあると考え、この世界中が驚いた新制度を実行に移したのである。
 
 日本の医科大学が注目を集めているのは次元が違う。男子の学生の入試の得点を「男子に有利に加点する」という江戸時代のような事件で、世界中のマスコミから叩かれている。つまり得点修正をやらないと女子学生が平均的に優秀であるために、女子の比率が大きくなりすぎるというのである。いまどきこのような理由で女性差別を行う大学は世界に類例がない。
 
 具体的に今年東京医大が行った入学生に対する処理は異常である。東京医科大学では2次試験の小論文の配点は100点満点である。得点に0.8を掛けて80点満点とした。その上で現役と1浪・2浪の男子は20点加点、3浪の男子には10点加点、女子と4浪以上の男子には加点しなかった。今年東京医科大学の女子の出願比率は約40%、そのうち女子の合格比率は15.9%。当然だが男子は84.1%にもなる。医学部を志望する学生の男女の成績差はほとんどないという。にもかかわらず合格者の結果にこれだけの男女差が出る。異様と言わねばなるまい。
 
 ずいぶん前の出来事だが、青山学院大学の語学系の学部で女子学生が急増したことがある。この現象は上智大学でも見られた。語学系の入試では女性の成績が優秀であったということだ。「このままでは女子大になる」と危惧された時代がある。入試で同点のものは男性が有利になる措置が取られていたと思う。これも差別だと思うがこの場合は同点の場合の判断である。
 
 東京医科大学の合格者に占める男子の割合は女子の5.28倍にもなる。聖マリアンナ医科大では3.32倍、日本大学では3.73倍、女性は受験難民である。聖マリアンナ医科大学では2浪以上の男子の合格者数は17年は47名、18年は37名。ところが女子の2浪以上の合格者は14名から23名いたが、18年度はゼロになった。事態は深刻である。
 
 大学が女性受験者を敬遠するのは、男子の卒業生の多くが大学やグループの病院で働く。しかし女子の卒業生の多くは、結婚で一線を退いたり、出産で退職したりする。その大学にとって力になりにくいという。
 
 しかし私の記憶をたどると、何名もの女子受験生が若葉から医師となった。なかには「情熱大陸」の番組で全国紹介された若葉卒業生の女医もいる。確かに過労な仕事に疲弊して職場を去るものもいるかもしれない。しかし女子の合格比率が男子を越えている大学も多い。郷土の島根大学はそうした比率では全国一である。金沢医科大学、東邦大、福井大、自治医科大学と続く。女医になろうと思うもの、志を強く持ってほしい。
 
 田原総一朗さんが「週刊朝日」でこんな内容を述べている。日本の上場企業で女性役員の割合はわずか3.7%、女性の衆議院議員は10.1%と極めて低い。女性議員の%は世界160位前後で推移している。先進国で最低水準なのであるという。医師だけではないという。
 
 このたびの東京医科大学の加点操作の問題で、現職医師に意見を聞いたという資料がある。それによると得点操作については「理解できる」「ある程度理解できる」と答えた医師が65%にものぼった。「東京医科大学のやったことは必要悪として気持ちもわかる」という意見があった。医学部准教授が「一次試験の得点だけで選んだら女子ばかりになってしまう。女子が希望しない外科系の医師はこれでは確保できない」。そうしたこの世界の常識を打ち砕く、心優しく、意志の固い女性の登場が待たれているのは当然である。安倍さん、女性の働きやすい環境をつくることが、「働き方改革」の最初ではないですか。
 
 
 
2018年9月号(615号) スポーツを愛する全ての人へ
2018-08-31
 
2018年9月号(615号)
 
シャペコエンセが教える
  ~スポーツを愛する全ての人へ~
 
        学園長 吉野 恭治
 
 ブラジル南部のサンタカタリーナ州、田舎町であるシャペコにはアマチュアのサッカーチームしかなかった。この町に1973年、はじめてのプロチーム「シャペコエンセ」がうまれた。地元の熱い声援がなければ、チームそのものが存在しえなかった。継続しえなかったのである。人口21万人、地方都市でのプロサッカーチームの活躍は、しかし次第に熱い注目を浴びるようになった。
 
 ブラジルの他のスタジアムではありえないほど赤ん坊や子供たちまでがホームゲームの声援に駆け付けた。そして幼い人たちはチームとともに成長してきた。リオデジャネイロ在住のスポーツジャーナリスト藤原清美さんはこんなことを述べている。「市民の人たちが、GKコーチが僕たちのバーベキューに参加してくれたとか、子供が同年代の選手が多いから幼稚園や学校のイベントでいつも一緒だったとか、街やレストランで出会うといつも選手たちと談笑したなど、シャペコエンセの選手たちはこの町の市民に溶け込んでいた」という。
 
 シャペコエンセの戦績はそう簡単に伸びなかった。しかし市民の熱い声援を受けながら、次第にその芽を表したというべきだろう。

1977年 州リーグのサンタカタリーナ選手権で優勝。
2009年 ブラジル全国選手権セリエDに参加。3位。
2010年 ブラジル全国選手権セリエCに昇格。
2013年 ブラジル全国選手権セリエBに昇格。2位。
2014年 ブラジル全国選手権セリエAに昇格。

 ここまででチーム結成から40年たっている。そして2016年、ついに「コパ・スダメリカーナ2016」の決勝進出を決めた。それははじめての国際タイトルでもあった。町中が歓喜に沸いた。決勝戦はコロンビアの対戦相手アトレティコ・ナシオナルとだった。ブラジルのサッカーチームはほとんどが豊かな財政力を有してはいない。シャペコエンセもまた同じで、チームの移動には安い費用でできるチャーター機を利用した。ラミア航空だった。2016年11月28日、ボリビアのビルビル国際空港からコロンビアのコルトバ国際空港に向かっていたのがラミア航空2933便だった。ラミア航空のアブロRJ型飛行機は航続運行距離が2965キロ。2空港の距離は2972キロ、コルトバ空港の南80キロの地点で21:40過ぎ、燃料漏れの他の航空機の緊急着陸のため、空中待機を命じられ、旋回するうちに燃料切れになったのではないかとのちの調査で言われた。

 22:15ごろに燃料切れを訴えて墜落した。コルトバ空港から南へわずか17キロだった。当夜この飛行機の乗客は68名、乗員は9名だった。合計77名が乗っていた。墜落地点はウニオンの山中だった。不幸なある意味人為的な事故であったが、奇跡的に6名の生存者があった。記者1名、乗組員1名、技術者1名、それに選手3名。もちろん生存していたというだけで重傷の者が多かった。監督カイオ・ジュニオールをはじめとし、19名の選手を失った。多くのクラブ関係者も同乗していた。当然犠牲者は71名、シャペコの町は悲嘆にくれ、世界中が哀悼の意を表した。6名の生存者があったことは、燃料切れだったため火災を起こさなかったからだともいわれている。

 決勝戦は当然行われなかった。対戦相手アトレティコ・ナシオナルは事故翌日公式のサイトで「コパ・スダメリカーナ2016の優勝をシャペコエンセに譲る」と公式サイトで発表した。12月1日、決勝戦の行われる予定だったその日、試合の行われる予定のスタジアムで追悼集会が行われた。シャペコエンセにとっては他国での追悼集会だったが、相手チームのアトレティコ・ナシオナルのサポーターを中心に実に10万人が駆けつけた。こうしたスポーツマンやサッカーを愛する世界中の人たちに比べて、最近の日本のアメフトやボクシング、レスリングはおかしくはないか。辞任の仕方も潔く思えない。
 
 アトレティコ・ナシオナルの申し出を受けて、南米サッカー連盟は「2016年の優勝チームをシャペコエンセに決定する」と発表し、スダメリカーナ2016のトロフィーと賞金が贈られた。それだけではない。優勝を譲った相手チームのアトレティコ・ナシオナルにもフェアプレイ賞と賞金が贈られた。聞くものにすがすがしいある種の感動を与える。試合の判定結果が会長の意思に左右されるなどという出来事が、「弁明さえ聞きたくない」と思わせるのである。
 
 ラミア航空は多くの支払うべき補償金の目途もたたず倒産したが、その事故機が墜落したときに、キーパーだったダニーロはまだ生きていた。当時31歳、インデペンディエンテ戦では4本のPKをセーブ、続くサンロレンソ戦ではセーブの結果、チームを優勝に導いた。墜落直後彼は生存しており、最後に妻に電話している。妻のレティシアは「夫の最後の言葉は、『何があろうと愛してる』だった」と語っている。小さな息子を残して他界したダニーロにブラジルが泣いた。
 
 生き残った選手は3名。ジャクソン・フォルマン、アラン・ルシェウ、サンピエール・ネト。分けてもフォルマンは片足を切断、生涯サッカーへの復帰はない。しかし彼は今は国際親善大使として活躍し、車いすでサッカーを楽しみ、かつてのチームの活躍に協力を惜しまない。
 
 厳しいリハビリからルシェウはすでにサッカーに復帰している。ネトも続けて復帰の予定である。
 
 こうした時代である。誰かがスマホで撮影したのか、あの日の機内の様子が残されている。そしてあの瞬間からシャペコエンセの再建に歩み出すチームの苦悩を描いた実写版の映画がある。主人公に片足を失ったフォルマンが置かれ、ナマの映像でチーム再興を語る。「わがチーム、墜落事故からの復活」。いい作品に仕上がっている。機会あれば見てほしい。
フォルマンの言葉が素晴らしい。
 
 「こういう機会を授けてくれた神に感謝している。もう一度生きるチャンスを与えてくれたことに深く感謝しているよ。1日1日を大切にしたいと思っている。私を成長させてくれるすべての人たちの助けになりたいと思っている。それが我々生き残った者たちがすべきことだと思う」
 
 2017年、事故から8か月、リオデジャネイロで元気な男の子が誕生した。特徴のある大きな目と丸い鼻は父親にそっくりだった。父の名はヴィエイラ。ストライカーとしてチームに貢献した。11月20日、亡くなる1週間前にミドルシュートを叩き込んだのが、生涯最後の得点だった。享年22歳。ヴィエイラの妻は「これほど愛しいプレゼントを下さった神に感謝します」という。しかしこの子が生まれる8か月も前に父親は旅立った。この子が父親の手に抱かれることは生涯ないのである。
 
 
 
2018年8月号(614号) 「家庭画報」が描く別世界
2018-07-28
2018年8月号(614号)
 

「家庭画報」が描く別世界
~手が届かないモノを夢と呼ぶのか~
 
        学園長 吉野 恭治
 
 
 「家庭画報」という雑誌がある。かなりの大判の月刊誌で350ページもある。重くて持ち歩きはつらいが、ちょっとしゃれた医院の待合室や、美容室に置かれている。この本に驚くのはその美しい写真と、ほとんどがカラーページであるという。壮観である。どのページを開いてもただただ美しい。広告でさえもため息ものである。この雑誌をご覧になったことがなければ、一冊買われればよくわかる。定価1350円、しばし桃源郷にいるかのような想いにさせてくれる。
 
 主な内容はまずファッション、アクセサリーの紹介。次に観光地や、有名店のレストランの料理を美しい写真で紹介、さらに魅力にあふれた国内や海外の旅行の案内、ため息の出るような豪邸の訪問、この上もなく優雅で快適な極上ホテルの体験など、そこで展開するのは女性たちの「この世の夢」である。
 
 ブルネロクチネリはイタリアのニットブランドである。世界的に名高いが、着心地も満点。カシミアの製品などは羨望の手触りである。このクチネリの新作が紹介された「家庭画報」4月号では、カーディガン37万5000円。ジャケット27万6000円、ドレス32万3000円、セーターは18万2000円。この程度の出費は「家庭画報」のファッションではそれほどではない。宮沢りえがモデルをつとめるシャネルの新作はさらに高価である。
 
 男性のファッションも世の奥様方に紹介されている。「家庭画報」の同じく4月号だ。中井貴一がモデルで着ているフェラガモのブルゾンは73万円、将棋の佐藤天彦がモデルで締めているフェンディのベルトは5万9000円、竹内涼真がモデルとして着て見せたルイヴィトンのジャケットは36万3000円、プラダのブルゾンは16万7000円。驚くのはソックスが2万3000円もする。さらに高橋一生がモデルをつとめるグッチのシャツは13万円、ディオールのTシャツは5万2000円、パンツ9万7000円と続く。
 
 驚くのはまだ早いかもしれない。ブルガリの装身具が小雪をモデルに紹介されているが、彼女が身に着けている1枚のブルガリ紹介の写真で、ネックレス5124万円、イヤリング419万円、腕時計6098万円、ついでにドレス65万円と紹介されている。
 
 旅の案内も毎月、行き先や趣向を凝らして華やかだ。最新号では尾道・広島の3泊4日の旅の参加者が募集されている。2007年に大幅なリニューアルを終えて、各室に展望風呂と吹き抜けのベッドルームを備えたホテル「ベラビスタ」に1泊。ホテルの真下からクルーズへ出航して2日間の船旅。「ガンツウ」と呼ばれるクルーズ船は、客室のベッドからガラス越しの瀬戸内海を満喫できる。宮島や大三島の下船観光もある。10月に実施されるこのツアー、まるで日本旅館にいるような船内で体験するクルーズはさぞかしすごいと思うが、参加費用は福山集合で平均1名110万円、1日37万円になる。
 
 ホテルに目を転じるとここにも「家庭画報」らしい世界が広がる。世界でもっとも旅人の旅情を慰めるのはリッツとかペニンシュラとかのチェーンではなく、アマンという名のホテルではないか。現在世界に33のホテルを持つリゾート展開のホテルグループである。私もプーケットやバリ島でアマンを見かけたし、食事だけなら行ったことがある。ホテルの安いタイで、プーケットのアマンプリの1泊は、ヴィラで1万4000ドルもする。東京にあるアマン東京は最低でルームチャージが1泊9万円。このアマンのホテルの紹介を「家庭画報」は創業30周年として、別冊付録で作成した。オールカラーで70ページ。世界中の雑誌で、「アマン」だけの別冊を作ったのは「家庭画報」だけではないのか。
 
 そして7月号の特集は「極上のホテル」である。ここでもきらびやかなホテルライフが紹介される。まず東京は帝国ホテル、レストラン「レセゾン」。4名1組でシェフ、ソムリエ、ウエイターキャプテンが専任でつき、ディナーを楽しむのは17万円。リッツ・カールトンの個室レストラン「ラ・ベ」で2名でのディナーは8万7000円。東京フォーシーズンホテルでは4名以上ならディナー1名2万円、ここまで来てやっと「いつかは行けるか」というレベルになる。毎月毎月こうしたレベルの紹介が続くのが「家庭画報」である。出てくるものはため息ばかり。決してわが身がふがいないとは思わない。それがなぜかというと、すべてが別世界という認識で読めるからである。ここには「夢」しかないが、その「夢」にはどれも手が届かない。我々庶民はもう少し価格の低いもの、例えば15000円のブラウスとか、8000円のネクタイだと真剣に迷い、真剣に「夢」を見るかもしれない。しかし2万3000円のソックスには迷わないし、ひとり2万円のディナーに行きたいと考えたりしない。それは「夢見る」という次元とは違う、異次元の封印された「夢」のなかにあるものだからである。
 
 「家庭画報」は絢爛豪華、美味求心の世界をのぞかせてくれるだけである。「こんなものがあります」という事実を教えてくれるだけである。どこまで行っても手の届くはずのないものを、果たして「夢」と呼んでいいものだろうか。
 
 以前ローマの街の散策中に、とあるアクセサリーや小物の店を見つけて、お土産も込めていくつかを買い求めた。大半が5000円以下だった。路地から大通りに出ると、日本人の若い2人の女性連れが、私の紙袋を指さしてこう言った。「この店どこにありました?」私は不覚にも今出てきた路地もはっきり覚えていなかった。紙袋には「FURLA」とあった。「フルラ」である。やっとそれらしきかすかな見覚えで道を伝えた。その頃「フルラ」なんて知られていなかったのである。しかしそのふたりの女性は日本で「きっと買おう」と決めて「フルラ」を探したと思う。娘ふたりが描いたのは「フルラを買いたい」という「夢」だったろうが、「FURLA」の店舗が探せなかったのだろう。彼女らは手にカタログか雑誌の切り抜きを握りしめていた。そのいくつかをここで求めることができたのではないか。そうした自分の足で求められる「夢」こそが、実は「夢」の本物ではないのか。
 
 若かった頃、私は「マレリー」の靴が欲しかった。それは私なりの「夢」だった。今デパートで見ればどれほどの高価なものでもない。しかしそうした靴にあこがれて、夢見て、のちに手に入れたときの喜びを思い出すとそんな頃の自分が好きだ。
 
 「家庭画報」はこれからも「夢」を語り続けるだろう。しかしほんとうの「夢」はいつか手の届くものをいうべきだと思う。50万円のシャネルのバッグをさげて歩く人より、汗をかきながら「ビックロ」の赤い袋を下げて歩く人の方が、幸せをみる「夢」がきっと多いだろう。「夢」とはいつかは叶うものをいうべきである。
 
 
2018年7月号(613号) 平成の言葉に棘がある~ビラが教える現代~
2018-06-30
2018年7月号(613号)
 

平成の言葉に棘がある

~ビラが教える現代~
 
        学園長 吉野 恭治
 
 昭和の時代、映画館は街の賑わいの中心だった。映画は娯楽の頂点にあり、映画そのものが黄金時代を迎えていた。その頃は「今、どんな映画をやっているのか」ということを知るには、ホームページのない時代、街なかの民家のガラス戸に貼られたポスターか、新聞の広告くらいしかなかった。半纏(はんてん)を着た「おじさん」が、脇に多くのポスターを折りたたんで、定期的に民家を巡った。道行く人が足を止めて「新作のポスター」を見る。いかにも昭和らしい優しさが街にあふれていた。その頃、新聞広告も楽しかった。みんなよく新聞を見たし、地方紙は市民情報の基本ともいえた。

 その頃、映画館は大体午後10時に新作の上映の最終回を終えた。その時間に映画館の灯が消えると、街は華やぎを失った。それが夏の夜だと全く違った。午後10時からさらにもう1回の、今度は旧作の上映がある。たしか30円程度の入場料で、「ナイトショー」と呼ばれた。クーラーなんてない蒸し暑い夏の夜、軽装で出かける「ナイトショー」は人気だった。喫茶店でかき氷を食べて映画館の前に並ぶのである。その頃、倉吉の映画館が新作映画の「番組告知」の広告を出した。自分の映画館は「ナイトショー」はやっていないという告知も併せて掲載したのである。何年たった今でも、その小さな広告を忘れない。「夜は寝るもの、ナイトはやらない!」とあった。この「夜は寝るもの!」に思わず笑ったものである。昭和の広告にはどこか「やさしさ」があった。今、新築の家の明かりのきれいなリビングで、にこやかにほほ笑む家族の姿のテレビCMがある。そうしたものがいかにも「つくられたやさしさ」に思えてならない。「夜は寝るもの!」と啖呵のように書く昭和人の威勢のよさに完敗している。
 
 昨年の夏、新宿の靖国通りを歩いていたら、とある大衆食堂の玄関先に1枚の告知が貼られていた。「何かを食べてくださいの意味ではありません。何も食べなくていいです。冷たい水、冷やしております。たった一杯の水でよければ、どうぞ気軽にお飲みください」とあって、私は飲まなかったが、その気持ちに清涼感を覚えた。新宿は行き交う人に親しみを覚えるような街ではない。派手でどぎつい看板が街じゅうにあふれている。その中でこうしたポスターに出会うのは、ほんとうに珍しい。旧コマ劇場の前の大通りのウインドウのガラスが割れていた。紙を貼って応急処置をしてある。その横に1枚のビラがあった。「ガラスを割られました。費用がかかります。皆さん、どんどん来てください」この商魂にもあきれながらも、どこかほほえましさを感じた。しかし平成の世のポスターやビラの告知は、やさしさや笑みを感じるものは本当に少ない。写真の右から2枚は東京の赤坂で撮った。「シャッターの前に自転車を置かないで下さい。」までは普通だが、「自分の店の前にどうぞ」は棘のような感情を含んでいる。同じ人の手になるもう一枚のビラも同様である。「ここにゴミを出さないで下さい。」までは特別とは感じないが、「自分の店の前に出してください」という指示も棘っぽい。もしこうした表現を読んでも、何の気も起らないのなら、「平成」という時代のどぎつい排他的な表現に、しっかり慣れてしまったとも言えるのではないか。慣らされてしまったというべきか。いちばん左の写真も赤坂地内で撮ったものだ。自分の使用区域内にオートバイの無断駐車を戒める貼紙である。「ここに勝手にオートバイ、自転車を止めるとチェーンロックします」とある。よく見かける「無断駐車は1万円」という脅しと似通っている。ただそのあとに「私の呪いでパンクやエンストをしてもしりません」とあるのはいささかに行き過ぎを感じる。読んだ後はすぐに笑いも浮かぶが、それを書いた人の「心の貧しさ」のようなものに思い当たると暗くなる。この同じ通りに以前「おにぎり屋」があった。何十通りかのおにぎりが楽しくてよく買い求めた。若い夫婦が経営する店だった。ある時この店の前に1枚のビラが貼られた。「私たちは嫌がらせをされるあなたが誰であるか見当がついています。これ以上続けられると警察の手に委ねます」とあり、近所から受けた仕打ちへの恨みのようだった。しかし通るたびにビラの枚数が増え、ついにはガラス戸一面となった。なにか「おにぎりを買う雰囲気」ではなくなったのである。やがてその店は「空き家」となり、その後壊されて空き地となった。若い夫婦と怨念のような文面が一致しないが、強い排斥の文面は印象が強烈だった。

 私が最近「どうなんだろう」と迷う表現がある。「借家あります」という2種の「お知らせ」は、米子の街の全く離れた場所でそれぞれを撮った。これは広告主が貸す家を持っているのだと思う。すると「貸家あります」ではないのだろうか。「借家あります」の「借家」は家を借りる人の立場の言葉ではないのかと思ったりする。たしかに「ここに貸す家があります」という意味だろうが、いつからかこの言葉も市民権を得ているようである。

 昭和の遠いころ、本通り商店街から旧明道小学校に抜ける道にテント張りの見世物小屋が来たことがある。驚いたことに「入場無料」とある。見世物は「上半身は人間、下半身は蛇」だという怪し気なものだった。入場は無料だったが、「出場料」が要った。言葉は便利だ。
 
 先日、湯梨浜の道の駅で出会った車。車のドアから車体へ一面のイラスト。私はとても楽しかった。こんなだれとも利害関係をもたない「告知」や「広報」もある。
 
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